week&month diary 2007 /☆Go to Index Page☆/

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2007.12
不可視な距離

 2007年「今年の漢字」は「偽」である.紅白歌合戦で偽装の象徴であった「赤福」と「白い恋人」を,オープニングで赤組と白組のメンバが食べれば話題性があったろうに.赤福を初め,別に今年偽装していたわけではなく,今年発覚しただけのことなのに,あたかも最近(最近の若い者に置き換えられることしばしば)は昔よりひどくなった,と年配者が語るのを聞くのは耳が痛い.男の中居正広(SMAP)が赤組司会というのもなんか疑わしい人選だ.でも,紅白の視聴率は約40%で,今年も断トツでトップ.本当に5人に2人も紅白を見ているのか?私はTVKで放映していた2007BillboardのTOP100をずっと見ていたぞ.ビデオリサーチ社は,ナンシー関みたいな人から視聴率を取っているのではなかろうか?だって,1日に見るテレビなんて1時間もないなんて人がざらだと思うので...?偽りの係数をかけて操作しているのでは,と疑いたくなってしまう.係数をかけるのは,金,規模,などの見積もり時の常習だろうから別に不思議なことではないけれど,差は,どれだけ世論/日常に近いかである.
 かく言う私,昨年末書いた2007の目標『「英語の鍛錬」「一芸(具体的に書けない時点で終わっているが....)」「イスタンブールで頓挫した世界放浪の旅(まずはCAMINO DE SANTIAGOへの準備)」を2007年では形にしないと』は頓挫した.代わりに何に時間を使ったかと言うと,実に表面的なその場その場の楽しみに向けられた.
2007.12_3

名古屋状
 出張で4泊名古屋に滞在した.名古屋は今年3回目である.東京圏から気軽に行け,一風変わった美味しい食を育み,朝夜の女性との出会いがあり,ラム酒の深さを教えてくれたバーを持つこの地との縁を,保つようにしている.
 鳥勢の名古屋コーチン(焼き鳥,刺身)は抜群だし,ヨコイのあんかけスパゲッティは一食の価値ありだし,山本屋の味噌煮込みうどんは周りの客に合わせず断じて蓋を取り皿にしないであつあつをはふはふ食べて幸せである.街行く名古屋嬢はちょっと気候より薄着で風を切って姿勢よく歩く姿が素敵だし,東京で名古屋出身の女性には何故か出会わないからすれ違う度みんな名古屋出身に見えるし,お店のお姉さんは本当に名古屋嬢かは疑わしいものだ.バーで話す客は皆きさくで,結婚率がほぼ100%で,でも独りで来る客が多くて,自分の話も相手の話もほどほどに会話をきらさない巧みさがあって愉しい.夏は盆地特有の暑さ,冬は伊吹おろしが身にしみる気候も,人も食もあたたかなこの街は粋だと感じる.
 出張からの帰りがけの朝に岐阜のルネッサンス調の店で小春日和を味わい,夕方帰社してたまったメールを片し,そのまま流れ込んだ忘年会で盛り上がった後,新宿に繰り出してポールダンスをつまみに焼酎を飲み,明け方までダーツをした.タフな帰京であった.
2007.12_1  2007.12_2


2007.11
結論が出てないゲーム
 Gobanというフリーの囲碁ゲームをプレイした.なかなか強い.1級〜初段程度の棋力があるのではなかろうか.19路盤(19升×19升の一般サイズ)では負けないけれど,9路盤のように小さいサイズだと,読み切られてたまに負ける.
 運や言い訳の隙間がない,理詰めのゲームが好きだ.大概はパズル,ボードゲーム,理論物理学,数学である.あらかじめ定められた規則(定理)のみに従い,偶然性がなく,プレイヤ間の叡智を溶かして進めるゲームが愉しい.確かに,ひらめきは急にくるものだし,相手が読み通りに手を進めるかを祈ることもある.でも,それは自分の実力,読みが足りないからだと割り切れる.
 オセロ,チェス,将棋,囲碁,これらボードゲームに親しめたのも,相手に読み勝ちたいという純粋さによるところが大きい.小中高の頃は年上の大人に勝つ喜び,対戦相手の顔色が,私の優勢さに比例して鈍ることの観察が楽しかった.大学に入り,人がコンピュータにオセロも,チェスも,負けたニュースを聞いた.偶然性がない以上,プレイヤ間が最善手を尽くした場合,先手勝ち,後手勝ち,引き分け,ゲームの結論はいずれかである.ゼロが何個つくか知れないが,どんなに組み合わせがあっても,有限とおりの組み合わせでゲームは収束し,最善手は,その都度1手しかない.生きているうちに,将棋と囲碁の結論が知りたい.
 ところで,"Goban"程度のプログラム同士で戦わせれば,そのゲームの先手後手の優劣を評価できないだろうか?プログラムが人と決定的に違う点は,ある局面において,(組まれた思考アルゴリズムによって)必ず同じ手を打つことである.そこで,まったく同実力(思考)者同士のもの同士が戦えば,等しくないこと,つまり,そもそもそのゲームは先手が勝つのか,後手が勝つのか,引き分けるのか,が浮き彫りにならないか?ということである.答えは否なのだけれど...こういった話題が,本来は誰とでも出来る普遍性があると分かる人,また答えをちゃんと言える人,は少ないだろう.
2007.11_2

結論が出たゲーム
 753というゲームがある."なごみ"と読んだり"しちごさん"と読んだりする.3, 5, 7本の線の組に対して,2人のプレイヤーが交互に長さは自由の水平線を1本ずつひくことで消していき,最後の1本を引いたら負け,というゲームだ.このゲームは先手が下のように,7本組の線を端から3本消すことで勝つ.先手必勝のゲームだ.
   |||
   |||||
   ||||+++

 ○×ゲームという「囲」の字の9升に,2人のプレイヤーが交互に先手は○,後手は×を書いて行き,縦横斜めいずれか1本,自分のマークを3つ連続させれば勝ちになるゲームである.これはお互いが最前を尽くせば,下のように,必ず引き分けるゲームである.
   ×○○
   ○○×
   ××○

 同じく小学校の頃,ノートで遊んだゲームのうち一番流行ったのは次のゲームだ.一番流行った理由は後手の勝率がやや高かったものの,必勝法の結論が出なかったからである.ゲームの呼称は忘れた.
 水平線を1本引いて,2人のプレイヤーが交互に先手は○,後手は×を積み上げて,縦横斜めいずれか1本,自分のマークを4つ連続させれば勝ちになるゲームである.○×ゲームを工夫して派生させたゲームだ.以下のような具合に進める.
   ×
   ○○○
   ○××
  -------------------------------

 最後のゲームが難しいのは,プレーヤが○ or ×を置ける箇所がたくさんあるからだ.早く3つ並べてリーチをかけ,相手に置く場所を制限させるのを阻止,実行する読みが必要で,ゲーム性が高い.上の例では,1段目に×を置けない箇所が2個出現している.
 散歩中にみかけた七五三の立て看板から,ふと懐かしいゲームを思いだした.最後のゲームについて歩きながらずっと思いを巡らしたが,30歳を前にした今でも,先手勝ち,後手勝ち,引き分けの結論はまるで出せなかった.純粋に思考を押し進めて,ゲームを読むという力は,小学校から変わっていない.歳をとるに連れて,読む幅(同時に考えないと行けない要素数)は大分増えたけれど,深さは停滞している.
2007.11_1

2007.10
SARAR
 トルコのアパレルブランド.
 2002年,アジア旅行の終着点であるイスタンブールでスラックスを購入した.ボスポラス海峡を超えるとそこはヨーロッパ,アジア各国の物価のつもりで,スーツに身を包んで帰国する思惑も,60000円の価格に断念.下だけを13000円で買った.結局,上はイランの路上で1000円程で手にしたジャケットを纏っての帰国となった.
 このSARARのスラックス,尻の生地がくたびれたので,捨てた.とは言え,6シーズン,秋冬の主戦として会社/私用問わずは着続けられた.同値のD'URBAN五大陸のパンツだと2, 3シーズンで膝か尻の生地が傷んでお陀仏となる経験と照らすと,SARARのクォリティは「すごい」の一言である.現状,日本でSARARを買えないのを言いことに,今度こそ数着のスーツを買うため(だけ)に,イスタンブール渡航を妄想している.

2007.10_1

2007.09
お知らせ
 2006.01.01にWeek Diaryを書き始めた.いきなり,弱気に,『週1回でもどうだろうか』と書いたことが,2年持たずに現実になった.というわけで,今月からは,Monthly Diary !! 月に最低一編を記録する.
#怠け者よ,ちょびっとの閃きにすがり継続できない者よ,後がない..

下呂路へ
 名古屋から岐阜を経由して下呂へ向かう.2003年に大型台風23号の影響で橋が流されて不通となっていた区間が2日前の9月8日に開通したこと,乗車した9月10日が青春18切符有効期限の最終日であったことから,JR高山本線内はごったがえしていた.と言っても,普段の乗車率を知らないので,特別な混み具合だったかは分からない.
 合宿に向かう様子の女子学生団体,バックパックを背負いポッケの多いロングパンツをはいたいかにもな出で立ちの鉄ちゃんと鉄子(女性の鉄道ファンをこう呼ぶ)が目につく.そして,まわりへの気配りがない傍若無人な行動や会話を延々と続け,騒々しく,気に入らない.ボックス席で向かい合わせに座った中年カメラマンと話をし,毎年北海道まで撮影に訪ねるツルや,長野で撮った一面蕎麦や片栗の花の写真を見せてもらい,我々も話が弾んだので,きっと女子学生団体や鉄ちゃん,鉄子から,同じように騒々しく(ただし羨望を含んで)思われていたに違いない.
 下呂温泉は2回目.宿で岩魚の骨酒をきゅっと飲む.出汁,うまみ...グルタミン酸が口一杯にひろがる.成分を出し切った岩魚の身を口にするとぱさぱさで味気なく,私の役目は終わりましたと本望の表情で酒に漂っている.松茸の土瓶蒸しのつゆと交互に喉を通せば,体や脳がとろりと火照ること.浴衣を着流し,下駄を転がし,夜更けた温泉街をぽたぽた歩く.JRの駅と温泉街を2分する飛騨川の河原にある野天風呂に恥ずかしげに着替える妙齢の女性と入ってはのぼせ,昭和繁栄期のネオンの面影を少し残すスナック街で湯冷ましすれば,エッセーの1本は書けそうなもの.翌朝は,岐阜でTiffanyをミサだめて一汗,下車した浜松のあつみで白焼きと鰻丼をほおばり一精,家路に帰る.
2007.09.16

カレーは煮込まない
 もっとも美味しかったカレーの1つは,タイはバンコクのカオサンの食堂で食べたカレーである.インゲンと鶏肉のカレー.頼むと,野菜と肉を浅い鍋で炒め,同じ鍋にカレーペーストを投入して馴染ませ,出汁のきいたスープでのばすと,ものの数分で完成した.ぱさぱさと,水っ気を待っているタイ米に絡み,さらさらと喉を通る.20バーツ(70円程度)程の値段で,バンコクに滞在した10日余り,ほぼ毎日通った.
 帰国して自分でカレーを作るようになった.タイで見た方式に倣う.タマネギを細かく刻んだもの,青野菜,肉を用意する.次に,カレー粉をラム酒(なんと贅沢にTrois Rivieresを!!)でのばしたものに適当に香辛料,ターメリック,コリアンダ,タイムなどなどを気が済むまでふりかける.材料をフライパンで炒め,火が通ったらカレー原液をからめ,焦げる前に,鶏ガラスープの素を溶かした水でのばす.沸騰して水気がある程度蒸発したら,完成である.材料は選ばずあったものを使えるし,ものの数分で出来る.カレーは1晩寝かすと美味しいを実践すべく,たくさん作り置くこともない.食べたい量の具材を適度な香辛料で煮立ててればさらっと美味しいのである.インド人が毎日食べるカレー食は偉大なのだ.
 日本で美味しいと思うカレーは,神保町のエチオピアと,JR藤沢駅構内のステーションカレーである.エチオピアは香辛料ふんだん,ステーションカレーはカレールーに代表される日本の家庭のカレーの極み,と思っている.そして,私のようなアマと違い,いつ行っても,同じ味の皿を提供してくれるプロの料理店の仕事が,何より嬉しいのである.
2007.09.09



2007.08.26 傘がない
 朝家を出る前に何で天気予報を知る人が多いのだろうか?
 私は6時半から7時の間に,12Chの井口さん→10Chの甲斐さん→8Chの皆藤さん(井口玲音氏甲斐まり江氏はブログを書いていて←リンクした,皆藤愛子氏はよくブログに書かれている!)が読む天気を聞き,家を出る間際にブックマークしているWWWと,新聞の一面右下にある天気欄に目を通す.どれも書いてあることは似たり寄ったりしている.誰かが東京は晴れと言い,誰かが雨ということはない.雨のマークが目につけば長傘を玄関で握る.
 では曇りときどき雨のような天気予報の場合に,何%の降水確率であれば傘を持って外出するだろうか?
 結局は戸を開け,空の明るさで判断することが多い.あんなに見たメディアの天気予報を信じていないということか?実際当たらない気がする.雨が降っても駅やコンビニにビニール傘を調達できると安心しているからか?実際家にも会社にもビニール傘は有り余っているし,そんな屍の傘を増やさないためにタクシーを使うこともあるほどだし.
 天気予報が伝える「曇り」は判断の基準として失格の烙印を勝手に押してしまっているのだ.天気予報に頼るのは,予報に傘マークがあるかないかまで.実際の天気予報も,出先の置き傘も考慮して,行き帰り別に「傘不要」「長傘要」「折りたたみ傘要」の3パタンに絞ってくれればいいのに.
 にしても,どんなに曇っていて,天気予報で雨が降ると朝言っていても,雨が降っていなければ,長傘を持っている人を,電車の中でも,オフィス街を歩いていても,見つけることは難しい.でも,雨が降り始めて,傘がなくて軒下で困っている人はもっと稀である.これは,すぐ骨が折れ(るように使ってしまい),一度使って濡れると鞄の中でいばりくさる折りたたみ傘が嫌いな私の雨に対する選択肢が,「長傘を持つ」「長傘を持たない」のいずれかがであるのに対して,世間一般は,かさばっても余程の大雨以外は全天候型の「折り畳み傘を鞄に入れておく」を選んでいる結果なのだろう.

2007.08.26  2007.09.02
2007.08.19 酒を飲むスペース
 世間様の夏休みまっただ中,横浜スタジアム最上部の席からの野球観戦.
 選手は豆粒のよう.ピッチャが投じた球が,ストレートか変化球か?際どいコースのボールなのか明らかなボールなのか?打者が打った瞬間ファールなのかフェアなのか?まるで分からない.分かるのはピッチャや外野手がちゃんとベースカバーしているかどうか程度だ.でも,ここから分からないことはテレビを見ればクローズアップされて映されており,ここから分かったことは普段テレビ観戦している限り気にとめないことである.球のないところのプロの動きが見られるのは,生で観戦する醍醐味だけれど,せっかくなら球の縫い目も,球場全体の選手の動きも両方楽しみたいところである.
 贔屓銘柄であるキリンビールの売り子のお姉さんは遥か下にいる.球場に足を運んだら,ビールの空コップを4個も5個も重ねて帰るのが礼儀だと考えている.でも,ビールが進まない.夏,夕焼け沈む屋外,スタジアムからの野球観戦,ビールが進む要素は完璧だ.頼みたい時に注文出来ないから?連日の晩酌による疲労?周囲に座ったカップルや子供連れ家族に気を使って?.....違った.帰る間際やっとビールが進まなかった理由が分かった.それは座席が狭いから.足が組めない程の窮屈さ.両の肘をおろせない程の肩身の狭さ.酒なんて沈思黙考,ちょっとのスペースがあれば足りるわけだけど,そのちょっとがない.ゆとりゼロ.「座って半畳,寝て1畳」の禅修行と違い,酒を飲むには,脚や腕を組んだり,座席に寄りかかったり前屈みになったり,焦点定まらず辺りを見回したり,最低限+半畳程度の空間のゆとりが必要なのだ.スタジアムを後にして入った居酒屋で酒が進んだこと.

2007.08.19

2007.08.12 遠望そして遠心
 何も計画通りにいかなかった.センスが曇っていた.
 武蔵小山で満面の笑みで焼き鳥を食べるはずが,裏路地を彷徨った挙げ句に入った居酒屋の柱をつたう蟲が発する背筋がぞくっとする感覚,そのままに.終電間際に,頼んだお好み焼きに箸をつける間もなく飛び乗り,心は冷め冷め,いや並行線を描いたままに別れた.
 鎌倉の花火大会の日,昼にエボシで新鮮な魚介の丼をほおばり,夕方に茅ヶ崎でジンギスカンをかみしめ,藤沢の駅ビルでトウモロコシと瓶ビールを買って,ここまでは理想的なアプローチ,いざ江の電に.乗れない.長蛇の列に乗車人数の規制がひっかかってしまった.真っ暗闇の砂浜を,足の指と指の間に潮水でざらっついた砂を従えて,がむしゃらに進む.打ち上げ音と,円状に広がる光を遠くに見ながら,少しでも近づく.波打ち際から逃げ遅れ,BUTTEROのサンダルの履き心地が落ちる.頭によぎったのは,材木座海岸の明るい花火周辺の姿との対比的イメージばかりである.トウモロコシをかじる,ぱさぱさ.瓶ビールをラッパ飲み,ぬるく苦い液体を受け付けない,砂浜に時には噴き散らす.コップに注いで極め細やかな泡を立てるだけの,余裕と計画性があれば,どれだけ美味しいことか.「何故あのとき.....」ばかりが,何も掴むあてもないままに頭の中で反芻され続けた.

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2007.08.05 辻堂駅北口
 辻堂駅北口は,関東特殊鋼が撤退し,景観を損ねていた安っぽい箱型のビルが取り壊され,何もない.葬儀屋と,コンビニと,焼き鳥屋と,美容院以外,商業施設はない.
 この広い25ヘクタール(東京ドーム5個以上)の敷地は,2009年を最初の目標に,湘南C-X(シークロス)プロジェクトとして,映画館,関東最大級のフィットネスクラブ,ショップ群が出来上がる計画になっている.緑豊かなデッキテラス広場も織り込まれ,そこは川崎等とはひと味違う,湘南の質感とでもいうものが表現される予定だ.
 とは言え,藤沢や茅ヶ崎市のホームページには湘南C-Xの情報量はお寒い限りで,壊すは易しとばかりにあっという間にサラ地にはなったものの,アスファルトで塗装してトラックの仮置き場として使われている以外,工事は進んでいないようだ.葬儀屋の脇に湘南C-Xを説明する立て看板はあるものの,まるで情報がなく,不親切極まりない.年度末近い2,3月に予算使い切りの工事をどっとする心づもりなのだろうか?
 広い土地に,工期と工費がうかがえる安い景観の建物をぽつぽつと作るのだけは,一地域住民として,やめてもらいたい限りである.更に言えば,湘南C-X感性を期に,東海道本線の快速アクティが辻堂に止まることを期待している.東京から平塚に至までのアクティが止まらなかった駅は,戸塚と辻堂だけであったが,今春から戸塚に停車するようになり,辻堂は最初にパスされる駅になった.これは妬みである.
 また,湘南C-Xとは言うが,辻堂北口は湘南なのだろうか?湘南の代名詞と言えば葉山,鎌倉,茅ヶ崎(サザン),藤沢(鵠沼,江ノ島)が浮かぶ.確かに,辻堂は後者2点に挟まれた位置関係である.が,戸越銀座の駅の裏路地に赤提灯を掲げる贔屓もつ焼き屋で,隣に座った会社経営者から「辻堂の山の方を湘南って言われてもね」と聞くように,確かに湘南の冠にはそぐわないのではないか.辻堂の北口からトンネルで山をくぐり,更に5Kmほど北上すると湘南ライフタウンと名付けられた地域があるわけであるが.丹沢,小田原の至近,山北の方まで車のナンバが"湘南"であることと,同じ違和感が確かにある.

2007.08.05

2007.07.29 いっちゃん
 参議院選挙があった.私は民主党の水戸将史候補と,比例区でも民主党に一票入れた.
 水戸将史氏は当選を果たし,民主党は参議院の第一党となった.私が投票した人や,政党が主役に躍り出たのは今回が初めてである.でも何か民主党は薄っぺらい.
 政治とは癒着の塊であり,料亭に集まり腹心を探り,泥臭くそして一皮も二皮もかぶった人たちが,密林のように連なった政党が出来ている.「でも,そんなの関係ねぇ」.好きなのは個である.平成に入って好きと感じた政治家は,小渕恵三,野中広務,そして,小沢一郎である.共通しているのは,少し影があり,背負うものがあるのだけれど,血が通っていて,傍目から見て真っすぐに映る点である.はぐらかしたりせずに,聞かれたことに答える姿勢である.
 小渕恵三が好きだった時期は,佐野眞一著「凡宰伝」(文春文庫)が書店に積まれ,読んだ.
 野中広務が好きだった時期は,本人が書いた「私は闘う」(文春文庫)が出て,読んだ.
 小沢一郎が好きな今,森田実著「小沢一郎入門」(知的生き方文庫)を書店で目にして,買った.
 前の2著が,重厚な人物伝をなしているの対して,小沢一郎(いっちゃん)のこの本は,啓蒙書の体裁で,太字が踊り,新聞や雑誌の切り抜きを思わせる軽い本であった.少し哀しい.
 水戸将史氏と同じく神奈川県から当選した民主党の牧山ひろえ議員は,普段はテレビをほとんど見ない私がながら見していた,TBS系報道番組(08.04の「みのもんたのサタデーずばッと」)で,(小泉チルドレンをなぞらえた)小沢シスターズとして出演し,法定選挙費オーバーしたと言い,挙げ句に同党の原口一博衆議院議員から「オーバーしていたらアナタ,失格だよ!」と言われるのを歯がゆく見た.受け答えに目を疑ったし,目を塞ぎたかった.民主党は参議院で勝てても政権は取れない,と言われることは,現時点で感覚的にうなづける.それは一重に「薄い」というイメージに尽きると感じる.
 ところで,公職選挙法で定められているようだが,どの選挙ポスタにも,個人演説会の場所と時間が書けるようになっている.でも,一様に枠だけで,中身が書かれていない.太字のフェルトペンで重厚に周知が書いてあったらきっと行ったのに!党の名前で勝つのではなく,個人演説会でも形は何でもいい,個の重みで勝ち取って欲しい.せっかく,民主が参議院選で勝利した日の(湘南の)夜は,雷鳴で黒が白に急転するような,革命を感じさせる一日だったのに,少しがっかりだ.

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2007.07.22 夏祭り胸騒ぎ
 数学科の出だからだろう.言葉をアイウエオの何行の音かに写して,響きの違いを気がつくと比べている.例えば,I Podと,元フェラーリのJean Todtは,「アイ・オ(ッ)オ」と「イ(ャン)・オッオ」と少し似ているという具合だ.標記の「夏祭り胸騒ぎ」は「アウアウイウアアアイ」であり,ある程度長い文字列なのに,アイウの音だけで構成されている.私の名前はアイの音だけで作られている.
 さて,夏と聞いてイの一番に連想するのは「祭り」である.ライブ,盆踊り,花火,この3点だ.
 ライブは今週末も聴いた.武蔵小山のAgainで,TOKYO FM朝のプログラムTapestryのDJ,西任白鵠("にしとあきこ")さんと,ハミング・キッチンのギタリスト眞中やすさんの演奏.ライブは,ボーカルの表情や,ギタリストが靴のつま先で踏むリズムや,ギターを引っ掻く音,客の表情や,手拍子するまでの一瞬心が不揃いな間が感じられてやっぱり愉しい.西任さんは,”楽しいデートのあとには”という軽快な曲の間は,しばしば目線が(意図的に?)合ったし,”Brack Coffee”というどんよりとしたブルースの曲では,目を宙に漂わせて,聴く方/見る方が入って行きやすい時間だった.
 盆踊りは郡上八幡の郡上踊りを6年ぶりに訪ねたい!しかし難しいか.近所のお祭りに顔を出して,満足したい.山車や櫓から発するあったかみのある,黄と橙のいいとこどりをした光に照らされ,場にいるほぼ全員の笑顔が映える.その脱ストレス,脱日常の空気がなんとも心地よくて好き.
 花火は例年は茅ヶ崎の花火大会に行っている.今年はずっと行きたかった,由比ヶ浜で行われる鎌倉の花火大会に行きたいところだ.平日(金曜)開催だけれど,今年はなんとかこの時期に,1日程度の仕事の休みの都合がつきそうである.花火の光も,盆踊り会場を包む色に通じる,鮮やかなのだけど,少し淡く,面影味のある,毎年忘れたくない光である.
 しかし,夏祭りを楽しむ前にまずすることがある.まだ今年一度しか着ていない!半袖のシャツを準備して,くたびれたサンダルを買い替える(郡上踊りに行く場合は下駄も)こと,ここからだ.どうも車内,室内の冷房が苦手で長袖を選びがちであるが,盆踊り,花火に長袖ではサマにならない.

2007.07.22

2007.07.15 7月では歴代最大級の台風4号のなか
 大型台風4号が九州に上陸し,関東直撃の進路を天気予報のニュースが報じる中,秋葉原に向かった.湘南を出た7月15日正午前は,曇天から霧雨が降る程度で,梅雨そのものの空模様だった.風は強くない.都心に向かう東海道線車内には,ビビッドカラーのポンチョを被ったおじさん,暑苦しいブールで足下を固めたお姉さんはごく一部で,雨に弱そうなパンプスを履いていたり,折り畳み傘をそうそうに鞄にしまう乗客が目立つ.
 秋葉原.中学の頃友人がゲームを買う付き添い,大学の頃廃れて手が入りにくくなったDAT(デジタル音声テープ)を買いにサトームセンに行ったこと,同じく大学の頃蕎麦の神田まつやに訪ねる折に駅を利用したこと,秋葉原を訪ねたのはこれだけだと思う.4度目の訪問の目的は,メイド喫茶である.コミケ(コミックマーケット)にカメラを首にかけて出陣し,声優が好きで2テラByteの容量のハードディスクは取りためたアニメでぱんぱん,週末はAKB48のライブを聞きメイド喫茶で時間を過ごす,そんな知人に案内してもらった.
 家を出る際防水スプレーをかけて装ったはずのClarksのNature IIの履き潰した靴底から無惨にも水が染みて,靴下と足の皮膚の間に不快な湿度を保ったまま巡ったメイド喫茶.感想を一言で言えば,「もういいかな」である.メイド喫茶という名前の響きが頭をこだまし,その字面に対して漠然と行って見たいという欲求があっただけで,メイド喫茶に対する中身のイメージも事前にまるでなかったため,評価に足る感想はない.席に常時女の子がつかないが故に格安であるキャバクラ,この程度の訪後感であった.ご帰宅した2件のメイド喫茶は,どちらも,いいねっ!と思うメイドさんが1人ずつで他はうーんという娘だったこと,カップルの客がいたこと,一人の男客がテーブルの半数近くを締めていたことをぼんやり観察し,やや割高で,甘〜く,美味しさを求めては行けない飲み物を口にして去った.
 結局,台風は当初(前日〜半日前の時間レベルを指す)の予想進路を大きく逸れ,関東未上陸のまま,太平洋上で消滅した.いざ台風が上陸した後の被害の爪痕をテレビは,見る者の同情を誘うかのごとく,騒ぎ立てる.しかし大事な情報である,結局上陸するのか?の精度は散々で,上陸した場合に最悪でどのような被害をもたらし,住民はどうすればよいのかと言う有益な情報は,私がニュースを見た限りでは得られなかった.JRで電車が止まった際,「戸塚駅近くの線路に人が立ち入ったため東海道線全線で運転を見合わせています」という状況を車掌が連呼するだけで,乗客にとって大事な情報である,いつ動く見込みなのか,を一向に言わないことと同じである.”今”を伝えるのは当然として,その”今”から,今後どうなるのか,を如何に精度を高く,付加価値として伝えられるかがニュースの力だと思うが,外れた時のリスクを恐れてか,大抵は伝えられることがない.

2007.07.15

2007.07.08 Stone Island (2)
 cocoaleafからStone Island(イタリアのカジュアルブランド)のコレクション画像をいただいた.客と一定の繋がりを自主的に持ってくれるショップは本当に好感である.セールなどのショップ情報に加え,はがきに手書きで近況が一筆書かれていたり,今回のコレクションのなような,ショップが足を使って手に入れた情報を添えてくれたりする心遣いは,ショップの丁寧さが客に真に伝わる.結果,固定客を繋ぎ,新規客を定着させる.規模がさほど大きくない小売りが客を増やすための,王道のプロセスだろう.
 Stone Islandのコレクションは染め・色合いがやっぱり秀逸であった.心にvividに響くのだけれど,至ってスタンダード.これは,地中海の海色と湘南の海色,地中海の空色と湘南の空色の違い,色に対する感性の違いから来るものだと思っている.にわかに淡さが加わっている,という表現が自分的にはしっくりくる.そんな色.着る程に,褪せ,風合いが出て,何年でも着られる.だから好き.
 とはいえ残念なのは,生で服を,コレクションを見ていないことに尽きる.PCを通して画像を見る場合,カメラマンンの趣向,カメラの機種やセッティング,WindowsとMacintoshのガンマ特性差による色調諧調の違い(私はMacで見ているのでWinより明るく見える),モニタの色や明るさ表示の設定,と言った具合に,生で見る色に対して少なくともこれだけの可変要素を介する.当然,生の場合の「目〜モデル間の空気」とPCの場合の「目〜モニタ間の空気」の違いも少なからず影響する.
 今はWWWで検索すれば相当量の絵が見られる.情報として見る分には問題ない.しかし,感じるという点で言えば,生で見るのとWWWで見るのとはやはりまるで違う.このことは生でよいものを目にした時にはっと思いだすことだが,普段はすっかり忘れていて,ついモニタを通して生の雰囲気を感じ取った気になってしまっていることがざらにある.

2007.07.08

2007.07.01 気分がいいものではない
 週末,6月一杯で退社する女性先輩の送別会が恵比寿@周囲は女性ばかりの焼き鳥屋であった.4人とこじんまりとしていたため,飲み会でつい忘れがちな,主役の話を聞く,主役にまつわる話をする,という時間が終止流れて,とても心地がよかった.二次会は五叉路の一角のビルにある歌謡曲バーでしんみりと終電まで過ごしてお開きに.先輩,お元気で新しい生活を歩んで下さい!
 中目黒から東横線で横浜に戻る.ほろ酔いのいい気分だったので,綱島で連れと別れた後は,横浜で朝まで飲む心づもりに固まった.終点の元町・中華街で降りてタクシーに乗り込む.揚々と「この辺りでおすすめのバーまでお願いします」と運転手に告げる.「私酒飲まないので,ちょっと」という答え.降りる.次の車.「知りませんねぇ」という答え.
 !
 夜に車を走らせていて,酒場の一つ連れて行けないタクシーは失格だと思う.どんな雰囲気が好きか,どんな酒を揃えているか,などこちらのリクエストを聞いて連れて行ってくれることなど期待してない.ただ,普段よく前を通るけど,ネオンが奇麗だったからあそこに連れて行ってみようという”サービス”で十分だ.そして乗り手は,初乗りに1000円札を心良く渡して車を降りられるのだ.タクシー運転手は薄給で,成り手が少ないと聞く.そして現役の運転手はどんどん枯れており,サービス意識が低くなっているとつとに感じる.
 仕方なく関内方面に向かわせ,自分で降りるところを決める.夜の関内を観察して回って,重厚でもなく,ちゃらちゃらしたネオンでもない,入りやすいバーに入る.と,生演奏が明け方まであるようだ♪これは当たり.一杯目にいつも頼むジントニックから始まり,サイドカー,ラム,ウィスキのストレートやロックを傾ける.傍らで演奏される生ライブは,正統派で,正直びっくりした,その"聴かせる"歌声を愉しむ.一人で来ていた隣りの女性客と語らい,踊り,夜はあっという間に過ぎた.
 いざ,最後の演奏が終わり,店を出ようとした.が!椅子に掛けておいた紺のジャケットがない.替わりに近くに座っていて先に帰った紳士のものとおぼしきネーム入りの黒の上着が残っている.酔った紳士が取り違えたのだ.貴重品はなく,ラジオとハンケチくらいしかポッケに入っていなかったはずだが・・.取り違えた紳士は店の常連ということで,『もしかしたら紳士が気がついて返してくれるかもということで,こちらの連絡先を一方的に店から要求されたので残し,手ぶらで』店を渋々,苦々しい思いで出た.

2007.07.01

2007.06.24 Stone Island (1)
 東京で人に会う場合,湘南からの移動で2時間,事前に一人街をぷらぷら1時間,喫茶店で汗を拭って40分,と,待ち合わせの4時間近く前に家を出ることが常である.実際は,中央線の西側であれば1時間半もかからないし,一人で喫茶店で40分居心地よくは過ごせないから,街をぷらぷらする時間が2時間弱はたっぷり残る.余暇において時間を転がせる感覚が好きなのだ.何時に人に会って,何をする,というその日の時間軸の後半の骨格が決まっているなかで,そこへのアプローチを感性と時間でもって決めて行くのが楽しい.これは,寝床におさまる時間をぼんやり決めて,白熱電球一つが薄黄色い光を発するほの暗い部屋で,一人白い壁に映る影法師とウィスキを傾け,過去の自分の振る舞いを思うのが好きな感性に通じると思う.
 目黒での用事の前に表参道まで足を伸ばす.この界隈は夕方の街という印象である.小さい子供が斜陽と共に家路に向かう感覚に似ている.幼さが色濃く,背伸びしている街.竹下通りを避けて,裏原宿を抜けて,表参道まで,店を観察し,客を観察し,ぷらぷらと歩く.
 服は年に数着しか買わない.でも,買うまでの時間は楽しい.セレクトショップで,店員に「服の生地は?」「コンセプトは?」「この色褪せた感じは,どうやって染めているのですか?」「(初めて訪ねる店の場合は)いつオープンしたのですか?」「客層は?」と聞く.観察したことの感想を加えて.だから,こじんまりとした,空いている店に足が向く.
 結局cocoaleafStone Islandのニットを買った.自分の基調色である”紺”のニット.夏到来前の梅雨時に,2度は袖を通して,秋を迎えたいところだ.

2007.06.24

2007.06.17 最適な二人飲食
 辻堂駅の北口は,関東特殊鋼が撤退して現在サラ地,開発中である.おかげで富士山がよく見えるのであるが,空気が澄んだ冬ではなく,梅雨時にはっきりと富士山が見えることは驚きだった.まだ雪を十二分にたたえて,梅雨時の雲の色に山際が溶ける姿はいい画であった.空,特に雲はどんな景観に対してもよきパートナだと常々思う.相手を濁すことなく惹き立たせ,自分自身の魅力を控えめに誇示することを忘れない.
 さて,よきパートナ,特に新しいインスピレーションを与えてくれる女性と食事に行くことは,男にとって至福の時間である.食事には「先味」「中味」「後味」があると言われる.
 先味=実際に食事する前の楽しみ(出迎えの雰囲気,店のインテリア)
 中味=料理やサービスの楽しみ(ああ美味しい,ああ工夫している)
 後味=食事を終えてからの楽しみ(勘定(これは楽しみ?) ,その日の余韻,次に来る楽しみ)

 中味は,レストランからの料理やサービスを楽しみ,同時に客である私たちは楽しい会話で自分たちが楽しみ,そしてその楽しそうな雰囲気をレストランに振りまくことでフロアの空気をハッピィにする.人それぞれで感じ方の違いこそあれども,中味は,食事を共にするものが平等に感じる楽しみだと思う.後味は,カップルだと男性が少し多く勘定を払うこともあるだろうが,やっぱり時間を共にした想い出は,食事を共にしたもの同士,更に言えばレストランのシェフ・スタッフまでも巻き込んで,平等にもらえる.
 ところで,先味である.これはある種男性の特権ではなかろうか.あえて上では挙げなかったけれど,店を選ぶ楽しみ,予約する楽しみ,そして女性を待つ楽しみが男性の先味の師極の楽しみである.特に仕事上で大事なパートナーを自分が既に訪ね,自信を持って連れて行く場合はともかく,初めての店を選ぶ場合は,連れの方を想像して,いろいろ情報を集めて,そして膨らませ選ぶ.予約時に電話口の声を通して,期待通りのレストランかイメージを総動員してレストランの情報を引き出し,自分の想いを伝えて,相応しいテーブルをどうにか確保する.当日は待ち合わせ場所に時間より15分は早く行き,連れがどんな格好で来てくれるかわくわくして待つ.やがて現れ,自分のためにしてくれたお洒落を観察して,素直な感想を告げる.そしてとびっきりの笑顔で入店する.ここまで膨らませてきたイメージと,現実のレストランでの中味・後味を過ごす時間を比べる楽しみまで加味されている.女性特有の楽しみがきっとあるのだけれど,男性は先味を多いに味わってなんぼだと思う.確かに後味を終えて,とっても楽しい時間を過ごした後は,往々にして抱きしめたい願望が芽生える.5年前なら間違いなく,アフターまで計算して考えていたけれど,今は生意気に言えばまずは食事を楽しむことが先決!!後のことはそれから考えればいい,と思えるようになった.だんだん,先味/中味/後味のウェイトは変わってきていると感じる.単に,擦れたように周囲に思えると残念なのだけれど.

2007.06.17

2007.06.10 最低な一人/二人飲食
 横須賀の研究所に13:30からの打ち合わせに間に合わせて行けばいいことになり,少し足を伸ばして三崎でマグロを食べてから向かうことにした.江ノ島にシラスを食べに行ったり,遠いところでは,松島に牡蠣,塩竈に寿司を食べに行ったり,お金が手元にあり,こういう足を伸ばす大人の贅沢を実感できるようになった.デパ地下であれこれ選んでホテルで食べるのも贅沢だけれどね.
 三崎のマグロ,マグロ自体は脂が細かくて,美味しかった.でも,丼のご飯,丼にマグロ以外に盛られたキュウリやワカメの食感の合わなさで少し興ざめではあった.うまい米に,自信のマグロを載せるだけのシンプルさで勝負するセンスは,リタイア組の観光バスが横付けする大衆食堂に期待するのは難しいのだけれど.さらに冷めたのは,隣で食事をしていた50代前半と見える夫婦であった.マグロの白子,胃袋の酢味噌和え,血合い,珍味を注文したものの,飲んでいるのはノンアルコールビールである.車で来ていたかもしれないし,まだ昼だからという遠慮からかもしれないし,そもそもお酒は飲めないかもしれない.完全な勝手な偏見だけど,白子,胃袋,血合いは酒が傍らにあって,はじめて存在感が出ると思ってしまうので,残念であった.仕事前で酒を飲めない身だったので,マグロ丼だけで我慢せざるを得なかったことへの,小さい反感であるけれど.
 ところで,街は早くも半袖の人が多い.半数くらいはそうじゃなかろうか.私は,夏の本当に暑い数日間以外は長袖ニットなどを着る(日射しの暑さより,冷房風の寒さの方が嫌なので)ので,みんな本当に元気だなと思ってしまう.特に女性は,身体のラインが分かるほどピチッとしたカットを着ている人が多い.それはいいのだが,丈が短くて,たえず腰の後ろで引っ張って肌が見えないようにする仕草は,冷房風以上に,冷める.

2007.06.10_1 2007.06.10_2

2007.06.03 最適な一人飲食
 一人で帰りがてらふらりと飲みたいと思うことがある.週に1度はある.そんな欲望を満たす場として,焼き鳥屋と,ベルギービールを飲ませるパブが最適だと思う.そして,嬉しいことに家の近所に2件ともある.
 外で飲んだり食べたりする楽しみはいろいろあるけれど,一人で行く場合は,断然「何を飲む」「何を食べる」が興味の中心になる.家に帰って,一人でどうこうしてもなかなか味わえないものを目指すわけだ.
 まず,焼き鳥屋.ビールには目もくれず,家には置いていないホッピーを頼む.中身(焼酎)を変えてもらいながらごくごく喉を通す.串は目の前で炭で焼いてくれた,家の電子レンジでチンとは違う,旨いものが発する芳醇な香とともに,熱々をほおばる.時には,近所のおじちゃんたちと話す.地元に出来ていた新しい道路の話,ペットを飼う苦労,生活に根ざしたあったかい情報交換ができる.
 次に,ベルギービールを飲ませるパブ.Duvel(デュベル)など,ベルギービールはアルコール度数が10度近く,日本のビールが総じてごくごくと喉越しを楽しむことを期待しているのに対して,こくを味わう楽しみを目的に作られている.そして一番違うのは泡!である.どの銘柄も極めの細かい泡が30分たっても立ち,グラスの表面に膜を作る.だから長時間にわたり楽しめる.日本のビールの大粒の泡は,グラスに注ぐ消えてしまうのとは大違いである.日本のビール各社も,喉越しを追求するより,繊細で消えない泡を追い求めれば,一定の客層を獲得出来ると思う.ビールは一気に,の日本の飲み文化があるとは言え,である.また,家では決まったグラスに缶から移して飲んでいるが,ベルギービールは,ボトル毎に,香り,泡立ち,色映り,が最高に引き立つグラスが用意されていて,一杯一杯から作り手のビールにかける情熱を感じられる.味の余韻にいろいろ作り手のイメージが喚起できて楽しくなる.

2007.06.03

2007.05.27 波乱に興奮したい
 競馬の祭典,日本ダービーが終わった.今年の春の芝地のG1(一部JPN1)は全敗であった(残念).配当(人気)で,本命,対向,中穴,大穴という分け方をするならば,私は7, 8番人気くらいの中穴を数点絞って購入し,当たればラッキィという心構えでレースを楽しんでいる.大概1番人気に応えた武豊の本命馬が順当に勝って,はい外れ,ということになる.しかし,今年の春は大穴馬が頑張って,そこまで踏み外せないよ!という波乱のレースが多く,楽しかった.感覚的な大波乱を,本当にどれくらい波乱だったか数字で表に纏めた.
レース 頭数 三連単全通り買った場合 実際の三連単配当
高松宮記念 18 18×17×16×100=489,600円 546,450円
桜花賞 18 489,600円 12,680円
皐月賞 18 489,600円 1,623,250円
天皇賞・春 16 16×15×14×100=336,000円 306,390円
NHKマイルC 18 489,600円 9,739,870円
ヴィクトリアマイル 18 489,600円 2,283,960円
オークス 18 489,600円 57,000円
日本ダービー 18 489,600円 2,155,760

 全8レースで,100円ずつ三連単(1, 2, 3着を的中させる投票券)を購入した場合,3,763,200円かかる.そして,実際そのように買ったとしたら配当として,16,725,360円(自分が投票すると相対的にその買い目の配当は落ちるがそこは見ないで....)返ってきたのである.JRA(胴元)が寺銭として手数料を売り上げの1/4とり,残りの3/4を的中者で分け合っている中,4倍返ってくるのである.1000万の儲けである.
 最後の直線,ひょんな馬が突っ込んでくるのは興奮する.でも,その馬を勝っていたときの興奮とは次元が違う.1000円程度で,3分程度の見せ物で,なかなか味わえない興奮があるから,競馬はやめられない.

2007.05.27

2007.05.20 通勤中の目の移ろい
 4月から仕事でYRP(横須賀リサーチパーク)に行っている.無線通信(携帯電話など)に関する研究所である.大船から,横須賀線で三浦半島を下り,終点の久里浜まで行く.そこから京浜急行/京急バスに乗り換えて,YRPに到着する.久里浜でJRと京急を乗り換える際,駅を一度出る.ぷらぷらと駅間を歩いていると,いろいろな発見がある.
 まず,久里浜は蕎麦屋が多いことに気付いた.商店街だろうが,車が入れない路地だろうが,車道沿いだろうが,たいがい蕎麦屋を目にする.飛躍するけれど,山形県の酒田の街に床屋が溢れ返っていたことに感覚が似ている.それだけ街の人に需要があるということなのだろうけど,蕎麦屋が多い,床屋が多い,というだけで街の人暮らしの一端をイメージ出来ることが楽しい.
 JR久里浜駅の前には,テニスコートくらいの広さを持つ,土の敷地がある.今は赤い花が咲いて,目に楽しいけれど,その少し前は野菜が植わっていたし,ここ2ヶ月の間に土に根を下ろす植物が変わった.誰が管理しているのだろう?市?私有地?土をちゃんと管理していることが分かるように,植物は映えている.
 三浦半島は,久里浜に限った訳ではないが,山が多い.京急も,JRも,トンネルが本当に多い.駅のホームのすぐそばには山が迫り,ホームを出るとすぐにトンネルインである.おかげで,通勤中聞いている携帯ラジオが途切れてしまうが・・.TOKYO FM朝のプログラムTapestry(パーソナリティの西任白鵠(なんとこれで"にしとあきこ"と読ませる)さんは,以前FM YOKOHAMAの夜の番組tre-senを聞いていたときから爽やかな声が好感だった.)が楽しみである.曲は朝向けに穏やかながら棘のある選曲だし,生活や,人間を磨くヒントを散りばめて届けてくれる.
 最後に,これも,久里浜に限った話ではないけれど,本当にゴミ箱がない.JRも京急も,ホーム,改札近辺どこを探してもゴミ箱がない.読み終わった新聞を渋々鞄の奥に押し込んで,研究所で捨てるのも忘れ,結局家で捨てることになる.

2007.05.20

2007.05.13 残す
 一人で外食をして,メインで注文した(つまりハンバーグランチで言う”ハンバーグ”を指し,付け合わせの私が嫌いなマヨネーズのかかったサラダは除くということ)食事を残したのは何年ぶりだろうか.大学生の頃,北大の友人を訪ねて札幌で食べたカツ丼依頼ではなかろうか.とは言え,学祭の体育会系コンテストだかにも使われる特盛りを悪ふざけで注文したものであり,そもそも私はカツ丼がそれほど好きではなかったのだ.
 今週ラーメン屋でラーメンを頼んで食べきれなかったことは衝撃的だった.ラーメンは好物であり,食べたラーメンは大盛りくらいあったにしろ,決して不味くはなかった.
 はじめはうまいうまいと食べていた.次第に水を飲む量が増えてきたことにふと気付く.同じ頃に丼が卓に来た女性客が食べ終わって帰るのを見て,食べるペースがいつの間にか落ちていたことを感じる.客観的に心の中で食欲が冷めきったと感じた時,はじめはうまかったラーメンの脂が喉を通らなくなった.見かけだけは残してないように去ろうと,スープにチャーシュや麺を隠すように箸を使うようになってからは,完全に食がぴたりと止まった.5分の1程度残った丼を残して,店主と目を合わせないように,そそくさと店を出た.帰りの道は寂しかった.

2007.05.13

2007.05.06 幼少からついた癖
 幼稚園〜小学校を卒業するまで碁を習っていた.小学校5年の頃には,文部科学大臣杯小年少女囲碁大会の神奈川県大会で,ベスト4に入った.準決勝で負けた阿佐巧少年は,その後早大に進み,第1回全日本学生囲碁王座戦で,数学オリンピック金メダル3回の長尾健太郎(東大)を破り優勝した.どうりで当時完敗した訳だ(笑)
 さて,「碁が強い」というのは,何が秀でていることだろうか?
 定石や流行の型,過去の対局例を知っていることが,強さのベースになるだろう.そして,臨機応変な,ひらめきと読みの鋭さ・深さが強さを決定すると考える.しかし,これは大人の,それも,プロやセミプロの世界での話である.
 子供や,初・中級レベルでの強さを表すバロメータとしては上記に加えて,相手の嫌なことをどれだけ出来るか,が無視出来ない比率を占めると感じる.相手の目/鼻頭/生え際を微動だにせずにジィーッと見て不快にさせたり,ぼやき,さもつまらなそうななめきった仕草をして相手の集中を削ぐ,ガチガチに手堅く打つ人には無理筋でも相手の石をぐちゃぐちゃに切って攻めたり,一カ所を集中して打つ人にはそっぽを向いて手抜きを多用したり,である.自分は普段の冷静さを保ち,いかに相手を不安にさせ,時には度を超えたハイテンションにさせて力を出させないか,これで,少しの実力差は簡単にひっくり返る経験を何度もした.相手の社会的には地位が高い50代のおじさんが,小学生の私になめられてカッカしている姿を見るのは本当に楽しかった.相手の碁の手を読んでいたわけではない,相手の思考を読んでいたのだ.子供に碁をやらせることは,よい社会勉強ではなかろうか.少しひねくれたドライな性格になるけれども....
 G.W.最終日に,時間があったので久々に石音高く碁を打ちたくなり,藤沢名店ビルにある碁会所に行った.ピーク時はアマチュア五段であったが,ブランクがあったため,三段と申告して4局打った.全局圧勝だった.三段が過小報告だったのかもしれない.真摯なおじいさんたちよりも,まだ自分の方が頭の回転が速いな,と実感して喜んでいるようではいけない.

2007.05.06

2007.04.29 84 point 7
 家でも,通勤中でも,新幹線の中でもラジオをよく聞く.車では聞かない.ラジオは断然FMだ.
 流行のJ-POPのテンポに「ふ〜ん」,伸びのある女性シンガの欧米ダンスミュージックに「ノリノリ♪」,80'sのロックに「しみじみ」,たまには,ラテン,南米,演歌やクラシックに「ナイス アクセント!!」,っと,ラジオは飽きない.携帯音楽プレイヤは自分が持っている曲,つまり必ず一度は聞いた曲の羅列なので,シャッフルなんかして誤摩化したところで,嫌いな曲が流れない安定感はあっても,驚きはなく,やがて飽きる.何10Gバイトの容量に何1000曲入れたところで,自分がそのとき聞きたい曲をわざわざ探す始末になる.その点,ラジオはどこから何が飛んでくるか分からない.いいなと思った曲は,幸い私のセンスが世間のセンスからずれていないためか,リスナのリクエストによりたびたび流れるし,新曲であったり,逆にあまりにも古かったり,普段の自分の極狭い守備範囲外の様々な,聞いたことがない曲が随時流れている.また,巻き取り式のイアホンのコードがY字型なのが好感である.携帯型音楽プレイヤ用のイアホンのコードは,軒並み首の後ろをまわすタイプ,つまり,右だか左耳用のコード一方が長いタイプであるが,これが鬱陶しい.本体に巻き付けると,余るのが嫌なのである.
 そんなラジオの最大の欠点は,パーソナリティが長々と(放送事故を起こさないために)とりとめもなく喋り,うっとうしく思い,失笑させられることである.これは特に男性のDJに顕著である.早く曲をかけろよ!!と何度心で思っていることか.挙げ句には別のチャネルにチューニングしてしまう.女性のDJ が,常に飽きさせないトークを繰り広げているかと言えば,基本的には否であるが,女性DJの選ばれた声は,とっても心地よく,「声を聞きたい>情報の中身を楽しみたい」,の関係になって許せてしまうことが多い.よく聞くFM YOKOHAMA(84.7)から,好きな女性DJを3人(こういうときとりあえず"3"という数字に弱い.説得力があると思い込んでしまう)挙げる.声に,言葉に惚れている.長く続けて欲しい.
    1. 柴田あずさ(TWILIGHT NAVIGATION SAT 16:00〜18:55)響く低い声,少し巻いた感じの発声,計算された短いエコー,一語一句がたまらない!!!!※LISTEN TO THE MOVIE SUN 20:00〜21:00は今年の春から終わってしまった.スポンサが離れてしまったのだろう.残念である.京急のスポンサがついた,大部センスが劣る「ハハハハハ」の笑い声....駒村多恵さんの番組に変わってしまった.
    2. 渋谷亜希(DoCoMo presents いつもふたりで・・・ SAT 20:00〜21:00)インタビュ中の「はい」,「ええ」,という歯切れの良い受け答え!品が抜群.
    3. 齊藤美絵(WE LOVE SHONAN 〜our native shore〜 SUN 13:00〜18:00)番組タイトルのourの発音が色っぽい.WE LOVE SHONANワぁー(our) native ショワァー(shore)
 ところで,ラジオのパーソナリティは帰国子女が多く,英語が出来るのはデフォルトのようである.私は,自分の英語力を見直す必要を,ずーっと引きずっている.そして,ずーっと,ただそれだけ..

2007.04.29

2007.04.22 帽子をかむる(3)
 .nuts(ドット.ナッツ)の帽子を見に,週末,原宿のLAPNET SHIPに行った.色とりどりの帽子が目を引く.知り合いのデザイナさんにあれこれ質問しながら見て回った.
 「デザインだけしたの?」「ベースの帽子を見て,どういうアレンジにしたらいいかを考えて,生地,レース,そしてビーズを自分で縫い付けました」.次々と手に取る.「センスいいよね」「嬉しいです」「白とか,桃色とか明るいものが多い?」「春の花をモチーフにしてます」.裏返したり,縫い目のところを凝視する.「しっかりと縫い付けてある」「アトリエで,家で,時間をかけました」「重たい帽子が多くない?」「はい.そうなんですよ」「商売するなら,帽子は軽さが大事だともうよ」「ですよね..」
 というわけで,写真の軽い帽子を購入した.100点ほど並んでいたギャラリィの帽子の中で,初めからこれしかない!という一品だった.偶然,案内してもらったデザイナさんが作った帽子だったので,買った.16000円だった.他の重い帽子は30000〜58000円くらいの設定だったので,商売するには,やはり高い設定だなと感じた.作り手の作品に対する思いや作成工程,これらを直接作り手から説明してもらえればよいけれど,ショップに無機質に作品が置かれ,片隅に数行の文字で作品の説明が施してある程度では,買い手の目がよほどこえているか,買い手が好きなデザイナ/ブランドである,などの条件が揃わなければ売れないだろう.売る側としては,質の高い買い手が集まるシチュエーションを作ること,デザイナ/ブランドを浸透させることに尽力することになるが,アパレルはここで挫折して消えて行くブランドが少なくないはずだ.分野は現代アートになるが,(TV東京:カンブリア宮殿で紹介していた)村上隆氏が現在のように注目されるに至ったプロセスは,今の時代に則した自分売り込みの大きな成功例と言える.
 案内してもらったデザイナさんとは学生以来,4年ぶり,久々の再会だった.変わらずとても魅力的だった.展覧会が終わり,G.W.が明けた頃,また会いたい.それにしてもプライベートで「会いたい」と思える人が減った気がする.どこに原因があるかの目星は自分の中にあるが,ここ(大概はおもったことをザックバランに書いているけれど)では言葉にはしないでおく.

2007.04.22

2007.04.15 帽子をかむる(2)
 会議が長い.4月は社内の体制変更があり,新顔同士での打ち合わせが増えるわけだが,軒並み打ち合わせが無駄に長い.会議に無駄な時間がかかる要因は,「内職をするなどや発言者の話を聞かない」「資料の質が低い」「言いたいことを言いづらい空気がある」等,挙がるが,私の観察では,「持ち込んだ資料を,担当がイチから棒読みする」「(自分をこれでしかアピール出来ないのかと思える程)他の参加者が話した内容を繰り返す発言をする人が打ち合わせに一人はいる」「数字で書くべき,書けるところを一所懸命長々と言葉で書いた資料が多い」が三大悪である.資料を持ち込む者は,客観的な情報を簡潔に纏める.参加者は,事前に全ての資料に目を通し,見解を持って望み,持ち込んだ見解の中から,打ち合わせの流れに合わせて新しい情報や視点を提供する,というのが打ち合わせに望む人間の最低限の義務ではなかろうか.
 さて,そんなイマイチの気分で迎えた木曜日に,大学時分のサークルの後輩から携帯にメールが届いた.4年ぶりである.私は大学卒業後すぐに携帯を紛失して,学生時分の大部分の連絡先を失っていたこともあり本当に久しぶりだ.メールは,現在帽子の装飾デザインをしていて,展示会をするのでよかったら見てきて欲しい,という内容だった.先週帽子を買ったのでどんぴしゃのタイミングにびっくりである.さっそく快い返事を出した.当時とても魅力的な女性だったので,久々の再開が楽しみである.
 さて,私も「デザイン」という言葉に刺激を受け,マッキントッシュの電源を押した.「花」をテーマに,「翠色」を基調に,帽子のデザインをIllustratorとPhoto Shopで行った.生地は編込みがざっくりと荒い麻糸,不釣り合いにもツバはツゥイードを想定している.シンプルな濃紺のワンピースをさらりと身にまとい,白のサンダルで砂浜に足跡を残すときにかぶっている帽子,これをイメージした.1時間程度であったが,久々に絵を書くのは楽しい.やっぱり,思考が整理されて,形になっていく過程にスリルがある.

2007.04.15

2007.04.08 帽子をかむる(1)
 久々に帽子を買った.やっぱり,銀座トラヤで,伊ボルサリーノの帽子である.トラヤで帽子を買うのは3度目.ゴアテックス製で雨に濡れても,折り曲げても大丈夫な,Four Seasons対応の便利な帽子である.
 似合わないと知りつつも,帽子が好きなのである.まだ(ではいつになったら似合うの!?)似合わないと自覚しているがために,日頃かぶる機会は限られているが,帽子を被って外を歩きたいと思うことがたまにある.その気持ちを大切にしている.帽子のつばに手をゆっくりとした動きで運び,ゆったりとした心持ちでつばを上にちょこっと折り曲げてかぶり直す仕草が,なんとも好きなのだ.
 普段からキョロキョロとし,他の人の目を覗き見るほどに人間観察をしている私が,帽子をかぶっている人には,特に自然と目が向かう.「自分が帽子をかぶるっている」という自覚のようなものが垣間見えて,お洒落だと感じる.シンプルにつけこなしたときの存在感は,帽子以外のアクセサリィ(ネックレス,リング,etc.)と比べて,帽子が際立っている.
2007.04.08_1

 カードリーダが壊れている神奈中バスに乗った.壊れていることを知らない私は,運賃先払いのため,乗り込んですぐにバスカードを通すが,壊れているため拒否される.運転手に「すいません,故障中でして」と言われる.仕方がない.わざわざ小銭を両替して,所定の運賃を現金で払う.その間運転手は無言で私が現金箱に小銭を入れるまでを見ている.私が乗ったバス停から乗車したのは私一人だった.次のバス停にバスが着く.人がたくさん待っている.乗客の8割程度はカード(残りは,1割が定期,1割が現金)で支払うため,どうするのかな?と思って見ている.運転手は駄目下で,いや,他の客にアピールするためか,最初の客にカードを通させる.カードリーダは拒否する.「すいません,故障中でして,”そのままお乗りください”」とマイク越しに運転手が大声で言う.次のバス停,その次のバス停も同じことの繰り返し.そして,終点の駅にバスが着く.運転手は無言でドアを開く.金を払っていない朝のラッシュを急いでいる一部の乗客は,いつも通りドアが開くとホームに向かって駆けていく.金を払っていない一部の乗客は,降りることに一瞬とまどうが,運転手から説明が何もないので,やはり,少し間をおいてから降りて行く.
 別の日.雨が降っていた.カードで先払いを済ませ神奈中バスに乗った.次の次のバス停で乗ってきた客のカードが濡れていたようだ.カードリーダを壊してしまう.「お客さん困るなー,他のお客さんつかえているからとりあえず乗って」と運転手が言う.次に待っていた客が持つ,濡れていないカードならもしかしたら通ると期待したのだろう.しかし,次の客のカードも拒否される.「すいません,故障中でして,”そのままお乗りください”」とマイク越しに運転手が大声で言う.次のバス停,その次のバス停も同じことの繰り返し.そして,終点の駅にバスが着く.「今日はカードリーダが故障していてすいませんでした.次バスに乗る際,運転手に事情を説明して,今日の分をお支払いいただきますようお願い致します」と運転手は言い,ドアを開いた.
2007.04.08_2

2007.04.01 嘘をかます
 エイプリルフールである.『人をからかうような,これは冗談と分かる,害のない』という長い枕詞がつけば,”嘘”をついてもよい日ということになっている.
 日頃から,ばれない嘘をつき続けていると,これが難しい.嘘をつくと,小さい頃は鼻の頭に汗が滲み,右か左斜め上を見て目を泳がせる癖があった.これを意識的に抑えられるようになった.こちらの言動が嘘だと相手がにわかに気づいたことを,目線・仕草・言葉から機微に感じ取れるようになった.事前に用意してあるそれらしい裏付けを並べる説得力を身につけた.それでも間に合わない場合は,相手が不快になったり,怪しまないように,やんわりと話を逸らす話術が,自然と備わった.何より,日頃から落ち着きある態度で接し,様々なシーンで信頼を勝ち取る動きをすることで,嘘とは対極にある人間,信頼出来る人間と周囲に思わせ(れ)ている.
 噂の真相や週刊朝日に書かれた記事は,エイプリルフール的で,読み手は情報の確度を求めてというよりは,内容が嘘かもしれないということを頭の片隅に常におき,たとえそうであっても楽しいからいいや,という接し方をする.大新聞は,全て本当のことであるという前提で読み手は接し,連日小さく,目立たず敬されされる1段数行の謝罪・お詫び・訂正の記事を見てがっかりする.FOCASは,事物を都合よい切り口で,描写の塊とも言える写真を用いて表現することで,抜群の説得力・センス・切れ味を読み手に与える.
 いずれのタイプの人間もいるが,断然,私はFOCAS的でありたい.
 最後に,私が嘘つきであるということは嘘である.ただ,少し誇張して話すことがいまだにあり,そこは反省の余地が大なのである.

2007.04.01_1 2007.04.01_2

2007.03.25 名古屋情
 第37回高松宮記念観戦に中京競馬場まで出掛ける.湘南から小田原に出て,新幹線で豊橋に向かい,名鉄の特急を使えば,延べ3時間かからないで着く.G1開催日にも関わらず,名鉄・中京競馬場前の駅前広場にはたこ焼き屋が2件,100mに満たない駅前商店街にはカフェが2件と寂しい感じである.競馬新聞を売る露店は1件だ.商店街を抜けて左に折れると,1kmほど競馬場まで緩やかな登りが続き,皆でぞろぞろと歩いていく.
 中京競馬場は奇麗な内装で,だだぴっろい通路に椅子は皆無,白/黒フリフリのメイド姿でビールをさばく売り娘さんは気が利いているものの,売店は少ない感じだった.八丁味噌こってりのどて煮をビールで流して腹を満たし,いざ高松宮記念のパドックへ向かう.今年のメンバは夏の福島G3を思わせる,たいしたことがないメンバ構成である.華がない.去年の覇者であり,出走中唯一のG1馬,16番オレハマッテルゼの毛並みがいいようだ.今年の連対率が脅威の45%を超える安藤勝己と,牝馬ビーナスラインの3頭中心に馬券を買って,いざ本馬場観戦へ.結果は武豊が1着,2着には(東京競馬場に観戦に行った第10回NHKマイルカップで本命視して4着に沈んだ)ペールギュントが突っ込み馬連万馬券の波乱を演出してくれた.
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 レース後は名古屋に移動する.まずは,かれこれ4回目の来店となり,もはや行きつけの域にある,世界の山ちゃん伏見錦通り店で手羽先を食べて,リズムを掴む.頼むのは手羽先3人前(1人前は5本380円)と,ビールだけだ.胡椒がきいて,からりと揚った手羽先は絶品だが,他のメニュは美味しくないことを知っている(ただし名古屋赤味噌ラガービールは駄目もとで気になった).骨を入れる銀壷が満たされるのと同期をとって,腹も満たされてくる.
 つづいてダーツを投げに,DARTSLIVE(レーティングは8(BBフライト)になった)のSHOP SEARCHで探して店を回る.周辺の散策が出来て楽しい.栄/錦周辺は店が多い.しかし,Yellow(日曜休み)→grasshopper(日曜休み)→Bar Joker(結婚式の2次会で貸し切り)→ZEBRA(日曜休み)とことごとく振られる.確かに日曜の栄/錦は静かである.どうにか空いていたアメリカンダーツカフェ022に滑り込み,矢ることが出来た.店員とのメドレーで一勝負は敗北(701=63.56で勝ち,CRICKET=2.88で負け,701=87.83で負け).
 ダーツで小腹をすかして,いざ名古屋コーチンを食べに,以前から目を付けていた鳥勢に向かう.21時を少し回っている.黄色くあたたかな照明の中,ガラス越しに店内にまだ客は見えるものの,店先には本日終了の掛け板があった.項垂れてラーメンHAMASAKUに入り黄金の塩ラーメンを食べる.そして酒を飲みに〆はバー「月下独酌」で至福の時間を流す.マスタの大橋さんから,京都のおすすめバーとしてSent James Club BarとBAR K6を聞き,繋がりを大切に今秋の第68回菊花賞の折にでも訪ねようと心,思う.
 有給の月曜は,岐阜でティファニーを後ろからみくだして,とろとろと湘南へ戻る.
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2007.03.18 特別ではないことごと
 仕事で関内に行く.
 就職活動中らしい女性数人と同じ方向に向かってしばらく歩く.彼女たちの歩みは早く,それは私と同じくらいのスピードなので,ずっと後ろ姿を見れることになる.黒/紺のスーツを身体のラインに合わせて包み,皮の黒が映える鞄とパンプス,隣接するほっそりと伸びた脚と腕の色白とのコントラスト,パリッとした白のブラウス(大きな襟を喚起させる)が首元からのぞき,品よく濃茶でまとめられた髪は束ねられている.後ろを歩いていて楽しくなる.信号で追いついて,チラリと横を見る.想像とのギャップを悔いたり,一度落とした目を再度向けさせる目映さがあったり.
 仕事の方は,通常2人でリサーチして2時間ほどかかるリスク検査が,相方の都合がつかずに1人で作業して1時間で終わった.自分のペースで質問ができ,メモが取れ,効率がよかった.もちろんリサーチに抜けはなかった.「人の存在が無駄」な作業がまだまだ多いと感じる.それは主に聞き役である.今回の速記者しかり,銀行やらレストランやらの案内役しかりである.マニュアル通りにしか動けない付加価値がない聞き役の存在価値は乏しい.
 業務中から肋骨のあたりが痛んでいた.気が散る程に神経に訴えてくる.まだ11:20であったが,早い昼食をせっかくなので中華街で取ることにする.細い路地にひっそりと佇む実力店を目指した.対極は修学旅行生やオバチャマーズが闊歩する大通りに,派手な照明で店先を飾り,食べ放題/一押しメニュが多い/セットの皿がたくさんつく,ことを看板でうたっている店である.こんな店,フカヒレスープが美味過ぎる聘珍楼以外は論外だ.しかし,時間が早かったせいか,淡い色を放つ路地から路地に歩を進めど,気に入った佇まいの店はいずれもしまっていた.結局,清潔感が売りの中途半端な感じの広東料理店で,ちぐはぐにも麻婆豆腐を食べて,いつもの会社近くの中華料理屋と大差ないなと思うにとどまった.
 食事中も,東京に戻る車内も,胸はつんざき,狭心症か!?と勝手に思い込む程だった.夕方仕事中ふと痛みが消えていることに気づいたので,都合良く一切合切気にしないことにした.

2007.03.18

2007.03.11 花粉が見えない
 最近JRがよく止まる.JRって一度止まると,暫くの期間,立て続けに止まる傾向にあると思う.対策が打てていないのか?偶然に任せているからか?特に春先がだめだ.皆が浮かれるから?フレッシュマンが上京してくるから?株価が暴落気味だから?皆が花粉症だから?
 人身事故,誰かからホームに降りたから,集中豪雨による信号機故障,理由不明な信号機トラブル,etc.
 車内やホームでは「お急ぎのとろ電車遅れまして,お客様にはご迷惑おかけしております」とJR職員の連呼である.何時何分に復旧見込みなのか?乗客率はどうなのか?振替輸送にバスは含まれるのか?肝心な情報を言わない.言えない.
 噂話で,ホームに飛び込んで自殺して電車を止めた場合,遺族には数千万の損害賠償がJRから後日請求されると聞いた.本当だろうか?誰が請求しているのだろうか?(特にJRの整備不足で)電車が止まった場合に,使ったタクシー代や,損害(朝のミーティングに遅れるだけで私にとって大損害だ)を請求した場合に,いくら支払われるのか?時間に余裕を持って行動していないから悪いのか?では何時間余裕を持てば許容されるのか?試していないが,そもそも請求した場合,JR職員に受け流されて終わるのではないか?
 一度夏に台風が来て,家の最寄り駅に着いたのが午前2時ということがあった.いざ駅に着いてみると,シャッタが閉まっていた.降りた数人の乗客皆で閉口した.怒る場もなく,ただひたすら皆で呆れた.それから,やむを得ずホームを横断して,柵をよじ登って,外に出た.翌日,駅員によほど文句を言おうと思ったが,どうにも無駄だと思い,どうにも小心が強く,やめた.
 しかし,確かに,一般的な考えではないのは承知で,私的な考えとして「何か(JR)が駄目だと思う人は,それを言う権利として他の代替手段(ハイヤァやタクシィ,なんならヘリコプタァ)を使う(金があり,機転が利き)ことをすればよい,本当の意味での文句を言える権利はやっとそれからだ!!」と頭の片隅で思っている.
 今日も大崎で人身事故があり山手線が止まった.仕方なく散歩する.頭の帽子が天に向かって数10mビローン,思わぬオブジェを目にして,嬉しくなる.それもこれも,今年は花粉が少ないからだろう.例年,飛散している花粉を肉眼で捉えられると勘違いする程,吸引して,煽りをくっている.今年は,大したことない.だから,本当に不快に思っていることに対しても,文中クェスチョン(?) が16個で済んだ.
 それにしても,マスクで外を歩くという行為が市民権を得たようである.老若男女5人に1人はマスクをしている.仰々しく鼻をかむよりも,マスクの中に鼻水と不快の嵐を閉じ込めておくほうがはた迷惑ではないからだろう.私も外見を意識はしつつ,(意外と通勤中毎日同じ人と合っている訳だが)「一期一会,今すれ違った人とはもう合わない,合ってもお互い覚えていない」という意識のもと,極力マスクを着用するようにしている.
 暖冬とやらで,今年は,桜咲く頃には,杉の木は花粉を出尽くしていることだろう.マスクや薬など飲まず,外の空気を思い切り吸って,鼻に抜ける日本酒をかっくらって,弁当などつつき,桜を目出たいものである.

2007.03.11

2007.03.04 平日の昼に競馬
 土日両方出社した代休を水曜日に取り,川崎に行った.川崎駅前ターミナルの17番乗り場から無料のバスに乗る.琥珀色の堀之内を跨ぐと,群青色の川崎競馬場である.会社のチームのメンバが忙(せわ)しく,打ち合わせをしたり,パソコンのキーを叩いたりしていることを思い浮かべてにんまりとする.時刻は昼下がりである.
 競馬新聞は,見開き4面で500円する."勝馬"紙を,場末の雰囲気を纏った,皺深いおばちゃんから購入する.地方競馬は,馬はもちろん皆無,騎手は写真の内田博幸(通称:うちぱく)他,一握りしか知らない.地方競馬での作戦は,次の感じでやっている.
    ・各競争の上限投資額,最終競争800円,その他の競争500円
    ・初めの1, 2競走は,当たりそうな4, 5倍の枠連あたりを買う
     #ビールともつ煮代を,当たり馬券から捻出出来れば大満足なのだ.
    ・2, 3番人気の先行馬を優先して買う
 偶然,水曜とは言え,第53回エンプレス杯(交流G2)を開催していた.JRAの馴染みの騎手,武豊,横典,そして大好きな勝浦!! 馬は昨秋の第31回エリザベス女王杯(G1)を(カワカミプリンセスの降格で...)勝ったフサイチパンドラ他,知っている名前がちらほらと.とは言え,結果はエンプレス杯含めて4レース買って全敗だった.
 しかし,本当にここ1, 2年当たらない.アサクサデンエンが勝った2005年の第50回京王杯スプリングC(G2)から,勝ったレースが思い浮かばないほどだ.今年も3月25日の第37回高松宮記念(G1)を皮切りに,競馬シーズンが始まる!! 今年こそは,の思いである.学生の頃は「金にゆとりを持っている時の方が,馬券は当たる」という法則を持っていた.どうやらこの法則は「学生の場合」という条件付き法則だったようである.

2007.03.04

2007.02.25 ピントは何処に
 人混みを歩く.心が痛む.靴が傷む.
 前を歩く人のかかとを踏んでしまう.
 本当にごめんなさい.前を歩く女性のヒールやパンプスを踏んでしまい,キリッと振り向かれたときなどは,思わず目を逸らせてしまいますが,内心平謝りです.駅のホーム,エスカレータに到達するまでの群がりで,割り込まれるのを極度に嫌って,前の人に密着して隙を作らないようにしているからです.きょろきょろと(美人はいまいかと),人の顔や首まわりばかり眺めて,足下に注意が及んでいないからです.F1やインディー500のように,前の人を追い抜かす直前まで(空気抵抗がないように)背後につけて,ぶつかるぎりぎりのところでひらりと横に出てパスすることにあこがれているからです.
 後ろを歩く人に,かかとを踏まれる.
 踏んだ方が常に悪いというプリンシパルを楯に,内心むっとしますが,きっと悪いのは大方私の方です.陸上の短距離のように,後ろ足を如何に早く前に持って行って足を切り替えるか!!,に注力して歩いているからです.つまり,後ろ足が地面に接地している時間が他の人よりもわずかに長いはずで,後ろを歩く人の感覚で,もう地面に前の人(私)の足がないだろうと思って,足をつくと,まだそこには私の靴があるのです.
 しかし,朝のラッシュは人が多い.日中人が少ない時間彼らは何処にいるのだろう!? と考えてしまう程多い.そして,弱い人,遅い人に周囲が合わせるという,群衆の鉄則に従い,歩みは遅い.まるで,スペインのワインの名門,トーレス社の「サングレ デ トロ」の50周年ボトルについていた牛のように.

2007.02.25

2007.02.18 偏 食 保 飲
 今週,晩に何を食べ,何を飲んだか思いだす.バレンタインの水曜日に,とても久しぶり,ウン年ぶりかにハンバーガを食べたのが異彩(アクセント)になると思ったからだ.
曜日
Sun.
もつ鍋,つけ麺 ビール,焼酎,黒糖梅酒
Mon.
おでん,etc. ビール,日本酒,ウィスキ
Tue.
豚骨拉麺
Wed.
ハンバーガ ビール
Thu.
マグロのカルパッチョ,タコの刺身,etc. ビール,日本酒
Fri.
味噌豚骨拉麺 ビール
Sat.
ジンギスカン,サンマー麺 ビール,ウーロンハイ

 改めて,晩には米を食べていない.肉とラーメンだらけだ.後は,ハンバーガが1回.とは言え,ハンバーガも肉.
 穀物(炭水化物)は酒を飲めば摂取出来ると,酒をたくさん飲むようになってから信じることにしている.別に,納豆で痩せるとでっち上げて打ち切りになった,「あるある大辞典」で紹介があったわけではない.思い込んでいるとそのうち,嘘でも,真として,消化されるのだ.薄っぺらの真実よりも,塗り固めた嘘の方が,往々にして強固だと感じる.言い訳という名の思考が長い時間かけてまとわりついている分,それっぽいことが口をつき,それらしく見せる臨機応変さに富む.これは,当然,成り立ちや背景を知らないただの知識よりも,会話中における言葉の武器にしやすい.そして失敗する.さも,肥大化し,もはやパンという外壁では抑えがきかなくなり,ビーフパティ,ベーコン,タマネギ,レタス,そしてトマトの,片や汁がぼろぼろと歯ころび,それからしたたりおちるハンバーガのように(暗転).
 結局,日々,酒を飲むために,食べている.
 米:それにしても,KUA'AINAのハンバーガは大き過ぎである.そして大変美味しい.

2007.02.18

2007.02.11 ハふハふ ジゅワわワー
 餃子が好きだ.醤油に,少量の酢とラー油を垂らして,焼きたての餃子を箸でつまんで,ぺとりと落とす.油がつけ皿に拡散してカオスな模様を描いている最中に持ち上げて,口の中にひょいっと放る.皮のぱりぱり感や,肉汁を楽しみ,余韻もろとも黄金色の濁流で胃を洗う.餃子はビールの友の一つの極みだと思う.
 そして餃子のエライところは,「まずい餃子」「はずれの餃子」というのがまずないことだろう.ちょっとくらいの作り手の失敗は,「醤油を飲む」と思って濃いつけダレに浸せば,大概はリカバリされる.
 ところで,餃子一皿と言えば,いくらが相場と思い浮かべるだろうか? 私は400円である.ラーメン600円,サイドに餃子,そしてジョッキビールのフルコースで1500円がしっくりくる.XXの相場っていくら? と他人から聞き出すことは,その人との人付き合いで決定的に大事だと思う.だが,決して積極的に自分からは(恥ずかしくて)言いたくはない.... 「昼食」「夕食」「初デート」「スーツ」「バッグ」「財布の中身」いろいろ,相手の金銭感覚を知っておきたいものだ.
 "餃子の王将"や"つけ麺大王"の大蒜(にんにく)たっぷりの焼き餃子はもちろん,宇都宮まで行って食べた滋味一杯の自家製つけダレを供する"ふんよう菜館"の餃子,神保町でピーク時は週一で食した味つきもちもち皮でタネを軽く挟んだ"スキーとポーズ"の餃子,みんな好きだ.
 『餃子』と12回連呼して,Week Diary59週目にして,初の食べ物の写真(週末訪ねた,蒲田は"歓迎"の羽根つき焼き餃子と海老と海鼠(なまこ)の水餃子)である.この羽根つき餃子!!小龍包ばりに,劇熱のうまみスープを内包しており,やけど必死で味わうのである.

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2007.02.04 ぐいっと日本酒を飲るのがはまる
 1月末〜2月初頭は,二十四節気の大寒にあたる.近年は暖冬と言われているが,それでも夜,風吹く道を歩くとゾクリとする.この時期は,阿波鶏の水炊きに常温の日本酒が最高の晩餐だと思う.ゴクリ.
 酒はカルーアミルクとか甘みで押してくるタイプは敬遠気味であるけれど何でも飲む.で,ビール党,焼酎党,ウイスキー党,ワイン党,etc.とあるなかで言えば,私は断然日本酒党と思っている.猪口にとろとろと日本酒を注ぎ,柔らかい末広がりの曲線に,鍋で暖まった唇を挟んで傾ければ,じわーっと"爽"が胃にしみわたる.
 日本酒は一升瓶3000円がラインだと感じる.3000円を超えるものは,菊理媛(石川/菊姫酒造)有歓伯(石川/天狗舞酒造)銀河鉄道(愛媛/千代の亀酒造)(全て,大崎の魚粉系つけ麺の名店である"六厘舎"のはすむかい,和八で飲める)なんていうウン万円するものを語らずとも,旨い前提であり,"高級"という括りである.3000円以下で旨い酒をということで振り返ると,現地-広島三原で飲んだ旭菊水と,麻布十番の更級堀井で飲んで知り,四ッ谷の鈴傳で買って帰って飲んだ静岡藤枝の喜久酔が思い浮かぶ.キリリと,かつツンンとしていて,飲み後に何も残さない"爽"を持つ,好きな飲み口の日本酒だった.喜久酔を,飲み屋で目にすると今でも嬉しがって注文する.しかし,旭菊水はもう飲めない.芸予地震の影響で2003年に蔵が廃業に追い込まれてしまったからだ.その意思は銘打たれたグラスに引き継がれ,ウィスキのショットグラスとして夜を琥珀色に演出してくれる.アレ?私は本当に日本酒党ですよ.

2007.02.04

2007.01.28 ウィスキにかっくらい
 ソフトダーツをまだ続けている.行く頻度は月3度くらいのペースに落ちた.実力(DARTSLIVEのレーティングとしておく)は,伸びどまりで,明らかに収束に向かっている.現在7.43(中の中!?)で,8に届くか届かないかというグラフを描いている.
 ダーツに行くと,ビールを1, 2杯飲んだ後は,ウィスキに例外なく移る.この傾向はダーツ以外では稀で,飲み屋なら日本酒/焼酎,イタリアンやフレンチならワインだし,バーならラム酒かカクテルと言った具合に飲むことが多い.ダーツの本場英国,ダーツが盛んな米国に倣ってのウィスキが,はまるのである.ホワイトホースというダーツのクリケットのAWARD(今までに3度出た)と同名のウィスキのダブルロックを,5杯,6杯とあおっているうちに,気分は高揚し,矢は勢いよく20のダブルの的に刺さる.少しふらついて店を出る.東海道線の尻が暖かくなっている座席に腰をしずめて,手摺に頭をひっかければ,うとうとと湘南を過ぎて,終電の終着駅である小田原に到着と言うことになる.
 学生時分は,駅前に恥ずかしげもなく照明ギラギラの赤看板と白文字の店名を掲げた飲み屋に滑り込み,ボトル焼酎とお湯とホッケの開きで,始発までうだうだ飲んで潰すということをやった.体力的には今でも出来るけれど,社会人の態としてはナンセンスである.家のベッドだけを求めてタクシーで帰るのも面白みはないので,寝過ごした場合はスーパ−銭湯に行くようにしている(と言ってもこの1年でお世話になったのは今週の1回だけだが).万葉の湯というスーパ−銭湯が駅徒歩数分のところにあり,立ちのぼる湯気を見ながら露天風呂に浸かったり,指先/爪先まで伸ばしっぱなして内風呂でくつろいだり,申し分なく休める.
 始発の東海道に乗って辻堂まで帰ってみたら,駅ビルが潰れていた.

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2007.01.21 清々しい太々しさ
 電車通勤をしている.仕事に必要なものは当然会社に揃っており,逆に情報セキュリティで仕事に関するものを持ち帰ることができないため,手ぶらで通勤する日が珍しくない.特に冬は,ポッケが豊富なコートやジャケットを羽織っているため,ラジオ/携帯電話/単行本/ハンケチ/ポケットティッシュ/ソフトダーツ/ペン,程度であれば苦なく収納出来る.
 改札前のKIOSK(最近よく潰しているようで,最寄り駅の構内にあったKIOSKは無期限休業中である)で,雑誌と新聞(毎日orスポーツニッポン)を買って電車に乗り込む.東京にある多くの会社が似たような時間に始まるため,電車は混んでおり,乗り込んですぐに座れる可能性は低い.まずは,新聞をとりあえず網棚に載せて,雑誌を立ってめくる.20分ほどで雑誌を見終わり,新聞にスイッチしようとしたら,網棚に新聞がない.横の紳士が毎日新聞に折り目と皺をつけて,さもありなん,と言った表情でスポーツ面を覗いている.
 毎日新聞を読む人間自体(通勤電車内では日経が断トツ)少ないし,遠くに移動するようなものでもないので,十中十九私の買った新聞だ.声をかけようとして,ふと止まる.
 ”俺のだと言い張られたらどうしょうもないよな....”,”買いはしたが,一品ものならともかく,所詮ただの情報だし,また買える....”,”こんなときは鞄を持っていて入れておけば紛らわしくなかったんだよなぁ....” などと考えた.車内はうっとうしいイビキや,イヤホンからの音漏れもなく,こんなときに限っていたって静かである.規則的に,車輪と線路の摩擦音がガタンゴトンと聞こえているだけだ.
 結局,音が生じる,次の駅の停車までまって,切り出した.「その新聞」と言った途端に,「ああ,お宅の?」と切り返され,あっさりとシワシワの新聞を返された.

2007.01.21

2007.01.14 プログラムを書いて絵を動かすこと
 JavaScriptで絵を動かすことを目指す.プログラムを書くことが楽しいし,プログラムを書いている自分が好きだ.プログラムを書くことは,どことなく自分で殻を剥いた落花生を,噛み締めて味わう行為に似ていると思う.夢中になる/乾燥した手や,粉が挟まった爪は,仕事をしたことを実感させる/そして,噛み締める程に味わい深い.
 300ピクセル×240ピクセルの枠の中を,ページ表示時の時刻がくるくると回るものを作ろうとしている.やることは大きく下の4つになる.
    1. 画像(枠/0〜9の数字/":")の用意
    2. ページ中の枠画像の位置(座標)の取得
    3. 2.で取得した座標(始点)をInputに,指定した画像が枠内をくるくる回る関数の作成
    4. ページ表示時の時刻から,表示する画像(0〜9の数字)を選ぶ関数の作成
 1.はすぐに出来た.Illustratorで適当な英字フォントをアウトライン化して塗り絵をすれば完成だ.
 2.は難しかった.下のグリーンの枠画像は,テーブルの中に位置し,そのテーブルがページの中に位置するという親子関係(JavaScriptのoffsetParent)があるため,お目当ての枠画像は,ページ->テーブル->枠画像という相対的な位置から取得する必要がある.この仕組みを意識して,枠画像の座標を取得するプログラムを書いた.普段使っているブラウザのSafariではうまく動いたので安心していたら,たまたま使ったInternet Explorerでは,意図した枠内ではない,とんでもないところを画像がくるくる回っている.該当のプログラムをテーブル内(<table>タグ内)に書いていたため,プログラムがページ->テーブルという関係の子供の中で展開され,意図しない結果を得ることが出来なかったようだ.結局,テーブルの外にプログラムを移動したらInternet Explorerでも上手く動いた.融通が利かないお子様ブラウザである(笑).WWWにはoffsetParentを用いた座標取得の方法は数多書かれていたが,親子関係の子供の中に書いちゃいけないということは書かれていなかった.痒いところに手が届かないお子様ぶりである(笑).
 3.はすぐに出来た.2.で円運動の始点さえ決まってしまえば,半径は枠の天地からの半分より少なく設定して,後は三角関数を使うだけである.
 4.は楽しんで作成中であり,現在は代替画像がくるくる回っている(はずだ).

2007.01.14
rocket
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1
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2007.01.07 結局は爆ぜず,中くらいに落ち着く
 仕事始め前日の4日に,相模国一之宮の寒川神社に詣った.神門では干支のいのししが斜して中空を見上げていた.いのししは人と対峙して後ろ足で砂をかいて睨みつけ,少なくとも下や前方を見ているイメージがあるので,そのギャップから神々しくもあり,可愛らしく映った.神門をくぐった後は,形式的に,賽銭をあげて,胸の前に手を当てて目をつぶり,正月に親戚からプレッシャをかけられたことを漠然と頭の中で反芻して,おみくじを引いて退散した.
 おみくじは「小吉」だった.大吉→中吉→小吉→凶の順であるが,”吉”/”末吉”という大中小と比べにくい曖昧なのがいて,神社・寺・宗派や地方により,”吉”/”末吉”の順位は様々なようだ.年始の運試しとして,おみくじは一喜一憂したい性なので,「あなたは参拝者何人中何番!」くらいの厳格さが欲しい(笑)
# そんなあなたが今引いたおみくじの結果は「 」(JavaScript(O'REILLY:"JavaScript & DHTMLクックブック"参考)の乱数による)
 寒川神社参拝へは,寒川ボールの駐車場を使った.ボーリングの結果は2ゲームやって"139", "149"と実力通りか!私の中のボーリングランクは次の通り(Rank1/2=初心者,3/4=中級者,5/6=上級者)で,自分はRank4程度と認識しているので....
    Rank1. ガータを出さない
    Rank2. 100点取る
    Rank3. 先頭ピンを外さない
    Rank4. 先頭ピンに強く当てる
    Rank5. スプリット以外はスペアを外さない
    Rank6. ストライクを継続する
 Rank4の意味するところは,ボールの運動エネルギーが大きい程ピンアクションがよいということである.転がっている間に接している床はワックスで摩擦係数が小さくなっているし,空気抵抗は無視出来る程度のはずなので,ボールはほぼ等速度運動である(ボールの回転も無視しちゃえ!).よって,ボールの運動エネルギー(質量×速度×速度÷2)は使うボールの重さと,投げるときにかける力(による速度)で決まる.次の例では,Bの方がAよりも約4.4倍の運動エネルギーがある.
    A. 10ポンド(10×453.6gの約4.5kg),16km/h:一般女性を想定
    B. 14ポンド(14×453.6gの約6.4kg),28km/h:一般男性を想定
 "4日", "Rank4", "約4.4倍"そして,2ゲーム投げたボーリングのアベレージは1"44"と,好きな数字の4づくめである(笑)

2007.01.07