monthly diary 2009 /☆Go to Index Page☆/

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2009.12
寒い空の下で

写真は寿労働センターである.見渡すと,ホームレスか簡易宿泊所――簡易宿泊所は人が住むところではないと,「やど」をひっくり返して「どや」と揶揄してドヤ街と呼ばれる横浜・寿町――の住民とおぼしき連中がカップ酒であったまっている.生きているという樹液が滲み出て,人生の年輪が垣間見える.昨晩,私は,六本木のグランドハイアット東京で豪遊し,帰宅途中の朝11:00に桜木町で途中下車.途中,Winsで馬券をつまみながら,野毛クルージングと称し,手始めに三陽ラーメンで瓶ビールを傍らに「毛沢東もビックリの餃子」,正面の福田フライ(FFと略す)で日本酒の燗の瓶を並べて「玉ねぎ」「牡蠣」「クジラ」の串揚げを辛い方のタレで胃にまとわりつけ,〆は第一亭で燗の紹興酒と老酒を交互に「チート」「レバ刺し」「パタン(大蒜たっぷりの汁無しラーメン)」をごりごりと食した.六本木より野毛が分に合っているなとしみじみ堪能し,気分だけでも消化を促そうと,伊勢佐木町を抜けて,真っすぐ歩くと,寿町にぶつかった.くすんだ街.吹き抜ける灰色の風.ここの人たちが日本の底辺をがっちり支えているからこそ,比較という楽しみや幅が生まれると知りつつも,寿町の酒場に転がり込んでウーロンハイと肉豆腐を流しながら,どうも,まだここには馴染めない自分に納得と安堵をしてしまった.石川町駅の裏を返して,向かった山の手・元町は,これまた六本木のようなギラツキはないまでも,品よくまとまりすぎて,どうにも居心地が悪い.元町愛知屋で一升瓶を手に入れ,外人客がたむろするバーでドイツビールを飲めば,少しは落ち着いたというものだ.
今年も歳を1つ重ね,どうやら六本木や山の手・元町よりは野毛が馴染む,人生の方向性が定まった気がする.それは大きな収穫だと受け止め,2010年は「広く浅く見る」を「全部やる.そして中程までは深くやる」よう奮起していきたい.100年後の2110年は,字の如くニートばかりが溢れ,寿町が天国のようになっているかもしれないな(笑)

2009.12_01

2009年大晦日は,トリが「醸し人九平次 純米大吟醸 別誂」.大トリが1608年にジェームズ1世から免許を授かった最古の公認蒸留所とされているアイリッシュウィスキーの「BUSHMILLS」.2010年はアイルランドでアイリッシュパブ巡りをするぞ!

2009.12_02


2009.11
黄色

急に,寒くなった.急な話しであるが,山吹色の上着を羽織った女性は,3割増しで美人に見える.但し,元々美人の方しか着こなせない色という見方もあろう.夏にオランダで観たゴッホの向日葵色や麦の色は,目をつむれば,鮮明に暗闇の頭上に思い起こせる鮮明さを保っている.庭に咲く,イチョウの黄色は,枯れ葉が落ちた庭の中で,凛とし,それでいて晩秋の哀愁を代表した存在だ.柚子を浴槽に浮かべて,肩まで浸かれば,ころころとした愛くるしいフォルムから光を放ち,目を楽しませてくれる.柑橘系の果実が持つ,みずみずしくも,脳裏をよぎる酸っぱさを伴ったにがにさしさ,梶井基次郎が見つけた「檸檬」よろしく,黄色とは,景色を一変させる力を持っている.
ここで,よく思い出し,そして,考えてみる.しばらくして諦めた.私の身近な持ち物に,黄色いアイテムは何一つないのだ.

2009.11_01

2009.11_02


2009.10
数多

わざわざ,海老名で映画「カイジ」を観る,ざわざわ.原作を,無難,かつ,逸脱せずに,飽きさせないように,スマートに脚色した脚本に感心した.六本木ヒルズで鑑賞した,東京国際映画祭の「チャンスをつかめ」では,150分のうちの半分を,隣の肩〜腕に密に寄っかかって,Yシャツとニット越しにぬくぬく,うとうとしてしまった.それはそれで映画の醍醐味だが,終わった後,しばらくは,自分に閃きの余韻と錯覚が残っていて欲しいものだ.
神奈川の地酒は?と聞かれた場合,「丹沢山」,茅ヶ崎の「天青」と,そして海老名の「恵 いずみ橋」と答えるのが無難なところか.喉が渇いたところで,きゅっと,冷酒を飲みたい,その一念で,駅前からいずみ橋まで3kmほど歩く.立地の便のせいか,商売っけのなさのせいか,「天青」とは違い,蔵元内に気軽に飲めるスペースが無く,瓶買いしようにも荷物になることを思うと,いつもながらの手ぶらを悔やむ.無駄を極限まで省いて,スマートに振る舞うことは,それが出来たら気分上々.それは,当初の無駄を最後まで必要に転嫁しないよう,大が小を兼ねないよう,ブレない気持ちよさにあるわけだが,中々,しっくりとは決まらないものだ.
こと酒に関しては少なくとも,きっぱり諦め,断つ,いさぎよさを持ち合わせていないわけで,海老名の上野藪そばで,いずみ橋が呑めることを聞いて,タクシーで駆けつける.「昼」+「日本酒」+「蕎麦」は,「巨人」+「大鵬」+「卵焼き」より,鉄板である.
ほろ酔いで3kmほど駅まで戻る途中,小川に,魚がどんよりと数多,漂っている.ふと,日常生活で,何割の人が鞄にカメラを忍ばせているのだろうか?と思う.デジカメで3割,カメラ付き携帯を含めると9.9割と言ったところだろうか.そして,各自1日平均して,何度シャッタを押すのだろうか? そして,撮った写真を,何人が,何回,その後,目にするのだろう? こういう無駄と共に生きるのも悪くない,とはどうにも感性が受け付けない.

2009.10


2009.09
幸せの証左

ETC高速道路1000円!東名を突っ走り,3車線で快適な伊勢湾岸自動車道路をひた走る.長島スパーランドの圧巻ジェットコースターを横目に,亀山まではいたってスムースな4時間強の移動だった.東海道の宿場町,関宿に寄る.嫌みに,理路整然と,半ば観光地的に,作り込まれた街並は,炎天の日差しと相まって,好感度を下げたが,寄り道する分には許容範囲といったところか.寂れきった,急勾配にはりつくように旅館・ホテルが点在する湯の山温泉で,ヌルヌルとサラサラの中間的な湯に夕・朝つかる.1人分の宿泊代くらい酒代がかかったのは,我ながら愛嬌とは言えない気がする.
翌朝,栄のいば昇に開店11:00に転がり,ビールで焼きを待つ.出て来た長焼を噛みしめる.同僚が仕事するオフィスを思い浮かべながら,鈴の音,花の香りでも,嗚呼リラックス.
夕下がりの名古屋・伏見に戻り,大甚で鳥貝のヌタや烏賊煮をアテに,大徳利(1.8合)と徳利(正1合)の燗酒をするする各1本空にして,島正に繰り出しては味噌オデン・味噌串カツ・スジ煮込みを並べてビール・日本酒を体内に追加した.酒の飲み過ぎがたたってか,帰ってから,喉を痛めた.
※2009.03の構成で修正したが,ほとんど,半年前と同じ行動を取っているな.同じ事を繰り返すのは幸せである証左なのでしょう.

2009.09


2009.08
さようなら銀盛堂

7月25日から8月3日までの10日間,ベルギー・オランダを旅して,たらふく酒を飲み,たっぷり絵を見た(旅行記←クリック).帰国後は恒例の神田まつやに寄り,焼鳥で日本酒を2合煽り,蕎麦をすすって,嗚呼満足.そこで,銀座を歩いていると,銀盛堂が7月26日をもって閉店したという張り紙に出くわした!!!!今回の旅は身軽に現地人にとけ込むよう,スーツケースなど論外で,銀盛堂で買ったMOSOLO(伊)のブリーフケースだけだった.衣類は上下の下着と靴下のみを洗って寝ている間に乾かし,他,本,携帯ラジオなど,ノートパソコンを入れると一杯のブリーフケースでも十分,10日間のヨーロッパ旅行に耐えられた.銀盛堂の閉店は本当に惜しい.少し高いけど,丈夫で,使い込むほどに味わいが深まり,時代を越えて洒落を保つ品を,今の時代がまた一つ消してしまったのは寂しい限りである.

2009.08


2009.07
いつ来るのか!

火山が多く,地震が多い,日本.東海地震やら関東地震が,来るぞ,来るぞ,と言われている.家具の固定はしました.でも,ゆるそうな土の地盤の崖上に立つ家,歪んだ,つまり力が局所的に強くかかりやすい,構造の絶壁....マクロレベルで到底地震に耐えられそうもないと感じる,風景がそこかしこに見られる.そういうところは,住むリスクと引き換えに,莫大な低価格で土地が販売されているのだろうか?震度5以上の地震は経験した事がない.震度4の地震でも心臓がハッとして身動き一つとれなかった.いわんや大地震である.地震発生時にどこにいるかは,ポックリと運に任せるしかないわけである.

2009.07


2009.06
気の利いたプレゼント

新聞一面のさんむつ(3段6割)広告の一角に,『ポックリ死ぬためのコツ』という本の宣伝を見つけた.買い求め,父の日に送った.私と父は普段一緒に住んでいないが,仲が悪いわけでもなく,よいわけでもない,と言った程よい関係である.きちんと最後まで通読し,全うな感想を聞かせてくれた父は,改めてなかなかよい父だと思った.

2009.06


2009.05
事故の後処理で大事な事

は,何だろうか?現場の証拠を揃え,当事者間の利害調整をする事は,当事者と警察にとって,とても大切な事なのは間違いない.だが,本当に大事なのは,事故前,つまり普段と変わらない状態に,いつまでに復旧出来るかを,迅速に,そして,正確に,他人の事故によって日頃と同じ事が出来なくなった人へ周知する事である.いかに迅速に日常と同じ状態に戻せるか,を問うているのではない.
例えばJR.『線路内に人が立ち入ったり,警報ボタンが押されたり,踏切事故があったり,で,安全の確認が取れ次第,電車を運行します』というアナウンス.本当の初期報告なら及第点と言ったところかもしれない.でも,延々と繰り返す.誰が,何故,どのように,問題を起こしたのかは,乗客にはさして興味がない.いつ,電車が動き,いつ,目的地に着けるのか,が知りたい.「いつ」を言うのは,皆無で,さんざん欲しい情報を待たせた挙げ句,突然『復旧したのでこれから電車が発車します』と最終報告言う.にしても,4月, 5月は毎年事故が多い.

2009.05


2009.04
桜な道

桜は本当に奇麗だろうか?日本人のココロの琴線をゆさぶるだろうか? どうも私には咲くまでの頑張り,いつが満開なのかよく分からない半端さ,散る際の葉桜や道にまばらに落ちた汚さ,と,桜に感銘を受けるところがない.分かりやすくなさ,歯切れの悪さ,曖昧さ,が日本人の持ち味であり,時に欠点でもあると知りながら,今日も桜をかきわけ,くっきりとした境界線を道につけてあげる.

2009.04


2009.03
3月の恒例

今年も高松宮記念に参じる.ビールと新幹線に揺られ名古屋まであっという間.明日の予定は予約済みだったが,目の前の駅地下・矢場とんは長蛇の列のため諦めて,中京競馬場に直行する.だだっぴろい中京競馬場でドテ煮なぞつまみながらビールを流し,馬券の方はかすりもせず.11レースは高松宮記念のパドックの最前列に10レースの前から陣取って,フジテレビ「みんなの競馬」に映ってるだろうなと,ふー,髪をかきかき,カメラをちらちら.四位〜,武〜,応援や罵声に,紙コップのビールは,しみじみ,空になる.馬場には出遅れ,遠目から眺める,メインレースの馬券は相変わらず外れ.名古屋に戻り,高島屋で,東京のデパートではあまりみかけないSEEKのショートボクサーを入手する.歩いて15分程度の伏見まで高いと思いつつ200円の地下鉄東山線で向かい,開店間もない,鳥勢へ滑り込む.焼け焦げた朱の着物を羽織った,焼き手の主人の変わらぬ姿に安心しつつ,名古屋の地酒醸し人九平次に絶品焼き鳥を合わせる.客足が揃い,一部鬱陶しく,騒々しい,家族ずれも姿を表す頃,つくねで締めて栄へ.名古屋勤務の先輩と落ち合って,台湾ラーメン発祥と言われる『味泉』でもろもろ奢る.鶴舞公園までぷらぷら散歩して,いろいろ懐かしみ床へ.

2009.03_01

翌朝,栄のいば昇に開店11:00に転がり,ビールで焼きを待つ.出て来た櫃まぶしを噛み噛み,するする,かっこむ.同僚が仕事するオフィスを思い浮かべながら,嗚呼リラックス.安保闘争で亡くなった樺美智子さんの勉強をする.
夕下がりの名古屋・伏見に戻り,大甚で鳥貝のヌタや烏賊煮をアテに,大徳利(1.8合)の燗酒をするする2本空にして,島正に繰り出しては味噌オデン・味噌串カツ・スジ煮込みを並べてビール・日本酒を体内に追加した.帰りの新幹線でも500ml缶のビールを流し込めば,後は爆睡して帰るのみであった.
※2008.03の構成で修正したが,ほとんど,1年前と同じ行動を取っているな

2009.03_02


2009.02
東国原参上

近所の湘南のスーパで宮崎物産展が開かれ,東国原知事がやってきた.私ものこのこ足を運んだ.本当,すごい集客力である.ふだんまばらなスーパのフロアに人がごったがえしている.人ごみの後ろの方に待機して待てど,ありがちな,予告時間になっても大物(元小物)は出てこない.
そして,登場と同時に,群衆は手を頭上に伸ばし,おきまりの携帯写真を撮る.思わず,コクバル知事よりも,群衆を撮りたくなってしまった.撮った写真は何%くらい活かしているのか? 活用すると言えば,メールに添付して知人に送ったり,ブログにアップしたり,アルバムにしたりと言った具合か.アルバムは作っても見ないことが多いのかもしれないが.私は,携帯で写真をとるのは,このサイトに掲載するためという自分の中の世間体への公には決してならない裏付けが欲しいだけがために,ここで日記を続けているのかもしれない.

2009.02


2009.01
仕事が出来るとは

仕事能力は多種多様だ.適応力,スピード,調整力,注意力,読書・読解力,情報収集・取捨力,礼儀,趣味,人当たり....職種により必要な能力は異なるのは当然として,根本的に仕事が出来るとは何なのか? 私的には,部下は『自分が出来ることは報告を手短に,期限ぎりぎりでもよいのできちんとこなす.出来ないことは,その判断をした時点で迅速に仔細に上司に報告する』,上司は『部下が出来ない仕事をどうにかチーム/会社として期限内にやり遂げるだけの力(自分の能力,顧客との期限調整力,優秀な部下の育成,どれでも構わない)を常に保持する』,これだけだ.でも,なかなか出来ていないのではないか?
30歳という区切りの歳が近づいて来た.一つのグループに属する期間も,小学校の6年を,会社の在籍が超えようとしている.仕事は,中途半端なポジションにいるけれど,上にも下にも見極めと節度をもって今年は接して行こうと思う.そう言えば,万一定年まで今の会社を勤めるとしたら,そろそろ家庭に収まらないと,定年後の老後を勘定しても,家庭の在籍期間が会社を超せなくなる年頃でもあるのか.

2009.01